国際原子力機関(IAEA)が原発の安全性確保に必須とする「深層防護(Defense-in-depth)」をご存じでしょうか。これは、異常発生の防止から過酷事故時の対応、そして最終的に人命を守るまでを想定した5段階の安全対策を指します。東京電力福島第一原子力発電所の事故後、日本ではこの「深層防護」の考え方を取り入れ、新規制基準を策定する運びとなりました。しかし、多くの人が気づかぬうちに、この原発安全基準には重大な欠陥が残されているとの指摘があります。特に、異常事態に最終的に対応しきれなかった場合に「人を守る」ための第5層の防御、すなわち避難計画に関する部分が不十分である点が問題視されています。
日本の原発安全基準と深層防護について語る人物の肖像
深層防護とは:IAEAが求める5段階の安全対策
深層防護は、たとえ一つの対策が失敗しても、次の段階で事故拡大を防ぐという多重防御の概念です。IAEAが推奨する5段階の防護層は以下の通りです。
- 第1層:異常の発生を防止する
- 第2層:異常が発生してもその拡大を防止する
- 第3層:異常が拡大してもその影響を緩和し、過酷事故に至らせない
- 第4層:異常が緩和できず過酷事故に至っても、対応できるようにする
- 第5層:異常に対応できなくても、人を守る(避難計画等)
日本の新規制基準から「第5層」が抜け落ちた理由
福島第一原発事故を経験した日本は、安全規制を強化するため、深層防護の考え方を盛り込んだ新規制基準を導入しました。しかし、その過程で「異常に対応できなくても、人を守る」という第5層の防御が、実質的に規制基準から抜け落ちてしまったという声が上がっています。この背景には、もし第5層まで含めた厳格な基準で審査を行えば、国内にある多くの原発が運転できなくなる、という現実的な判断があったためだと言われています。安全の理想と現実の経済的・政治的な側面が影響した結果と言えるでしょう。
避難計画不備で廃炉となった米国ショアハム原発の事例
第5層、特に避難計画がどれほど重要であるかを示す典型的な事例が、米国ニューヨーク州にあったショアハム原発です。この原発は1984年、10年以上にわたる建設期間を経て完成しましたが、住民の避難計画が不十分であるという理由から、結局一度も稼働することなく廃炉が決定されました。特に問題視されたのは、陸路が麻痺した場合の代替手段として提案された船による避難計画でした。電力会社は悪天候下でも運航可能な船を用意するとしましたが、ハリケーン級の悪天候への対応策が示せず、計画の実現性が疑問視され、最終的に不十分と判断されました。この事例は、技術的な安全対策だけでなく、事故発生時の避難計画がいかに原発稼働の前提として重要であるかを物語っています。
柏崎刈羽原発「緊急時対応」了承の背景と課題
2024年6月27日、東京電力柏崎刈羽原発において、事故発生時を想定した広域避難計画である「緊急時対応」が了承されました。このニュースを聞いた多くの人は、原子力規制委員会のような専門家機関が厳格な審査を経て安全性を認めたと考えがちです。しかし、実際には原子力規制委員会は避難計画自体の審査は行っていません。また、他の独立した専門家による厳格な審査が行われるわけでもありません。避難計画の「了承」は、原子力防災会議という、主に各省庁の大臣などで構成される会議によって行われます。この会議は、必ずしも原子力や防災の専門家集団ではなく、そのトップは首相です。そのため、「原子力ムラ」との関わりが深いとされる自民党政権が、避難計画に問題はないとしてお墨付きを与えたに過ぎない、という批判的な見方もあります。
再稼働に向けた準備が進む柏崎刈羽原発(避難計画承認の対象)
この状況は、日本の原発安全基準において、深層防護の重要な要素である第5層、つまり住民を過酷事故から守るための現実的な避難計画という側面が依然として十分に確立されていない可能性を示唆しています。専門家による厳格な検証を経ない政治的な「了承」は、万が一の事故が発生した場合の住民の安全確保に対し、根本的な課題を投げかけていると言えるでしょう。