参政党・神谷宗幣代表、政治家としての原点と思想の軌跡

参議院議員選挙が本格化する中、比例投票先で野党トップに立つなど、急速に支持を広げる政治団体「参政党」。その代表を務める神谷宗幣氏(47)の政治家としての歩みと、思想形成の背景に焦点を当てる。特に、大阪府吹田市議に初当選して以降の来歴と、集会などで見られる独特な思想との関連性に迫る。

参政党代表、神谷宗幣氏の肖像参政党代表、神谷宗幣氏の肖像

政治家への第一歩と影響を受けた人物

吹田市議会議員として政界に足を踏み入れた神谷氏が、当時傾倒していた人物がいる。それは、松下政経塾第一期卒で「東洋日本思想家」を名乗る林英臣氏だ。林氏は、神谷氏と初めて会ったのが2007年頃の自身が主催する「政治家天命講座」だったと証言する。当時の神谷氏は、会場の居酒屋にバイクで訪れ、服装もスーツではなくジーンズスタイルだったという。林氏の目に映った「まるで変身モノのお兄さん」のような容貌で「現職の吹田市議会議員です」と自己紹介した姿は、これまでの政治家とは大きく異なる印象を与えたようだ。

「龍馬プロジェクト」設立と思想的背景

神谷氏が吹田市議時代に立ち上げた、保守系の地方議員や首長からなる組織「龍馬プロジェクト」も、林氏の思想から強い影響を受けているという。林氏は、自身の塾で神谷氏が学ぶ過程で、「幕末の志士のような生き様が大事だ」という考え方に共感したのではないかと推測している。林氏自身が「坂本龍馬を1000人育てよう」と呼びかけていたことに対し、神谷氏がそれを強く受け止め、「龍馬」という名前を冠した「龍馬プロジェクト」を始めたのではないかと語っている。

橋下徹氏との共鳴と「維新の会」

吹田市議時代の神谷氏が共鳴したもう一人の注目すべき人物が、当時の大阪府知事であった橋下徹氏だ。2009年には、神谷氏が音頭を取り、橋下府知事と若手市議が集まり、子供の教育や学力向上について議論する「大阪教育維新を市町村からはじめる会」が立ち上げられた。翌年、「大阪維新の会」が結党された際には、橋下氏から神谷氏に対し参加の呼びかけがあったが、政治部デスクによると、神谷氏は「方向性の違い」を理由に入党しなかったという経緯がある。

また、神谷氏が自身の集会などで「われわれの敵はディープステート」といった発言を繰り返しており、その思想の背景に陰謀史観があると指摘されている点も、彼の政治活動や支持者層を理解する上で重要な要素となっている。

結論

神谷宗幣氏の政治家としての歩みは、吹田市議時代に受けた林英臣氏からの思想的影響や、「大阪維新」の勃興期における橋下徹氏との共鳴など、多様な要素が複雑に絡み合って形成されている。その独特な思想と活動は、参政党の支持拡大とともに今後さらに注目を集めるだろう。彼の政治的軌跡をたどることは、その実像と時に「危うい」と評される思想の根源を理解するための重要な手がかりとなる。

参考文献

週刊新潮