2019年7月18日、京都アニメーション第1スタジオで発生した放火事件は、尊い命36人を奪い、32人に重軽傷を負わせるという、日本の犯罪史上でも類を見ない悲惨な出来事として記憶されています。なぜこれほどの悲劇が起きてしまったのか、そして事件を防ぐ術はなかったのか。死刑判決を受けた青葉真司死刑囚とは一体どのような人物だったのか。
本稿では、京都新聞取材班が6年間にわたり事件を取材し、遺族に寄り添いながら書き上げた著書『自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件』(講談社)の一部を抜粋し、青葉死刑囚の動機と法廷での姿に焦点を当てて詳述します。
青葉真司死刑囚の裁判中の様子を描いたイラスト。京都アニメーション放火事件の法廷での振る舞いを示す。
執拗な「盗作」の主張、被害者代理人との対峙
京都アニメーション側は、青葉死刑囚が主張する小説の盗作を完全に否定してきました。しかし、彼が抱き続けた恨みは、裁判が始まった後も消え去ることはありませんでした。この事実は、2023年9月20日に開かれた第8回公判において、被害者参加制度を利用した遺族の代理人弁護士が青葉死刑囚に直接質問した際に、顕著に浮き彫りとなりました。
遺族代理人弁護士が「放火殺人は、人が死ぬ。被害者の立場を考えなかったのか」と問いかけると、青葉死刑囚は逆質問で応じました。「逆にお聞きしますが、京アニは(小説を)パクったことに何も感じないのか」。裁判長が逆質問を止めようとしたにもかかわらず、青葉死刑囚は怒りと不満をあらわにし、「逆の立場になってということだが、京アニは被害者の立場だけを述べ、良心の呵責はなかった、ということでよろしいでしょうか」と続けたのです。
事件発生から既に4年以上の歳月が流れていましたが、青葉死刑囚にとって「小説をパクられた」という確信は、依然として揺るぎないものであったことが、このやり取りから明らかになりました。彼の心の中に根深く残る妄想と、それに基づく恨みが、事件の背景にある重要な要因として示唆されています。
検察官の断罪と青葉死刑囚の“観念”
2023年12月7日、京都地裁101号大法廷には、緊迫した空気が張り詰めていました。検察官は「求刑は、被告人を死刑に処すこと」と述べ、その理由として青葉死刑囚を「残虐非道。類例なき大量殺人」と断罪しました。一方、弁護側は、犯行時には青葉死刑囚の妄想が強く影響し、刑事責任能力が大きく減退していたとして、心神喪失による無罪、または心神耗弱による刑の減軽を訴えました。
審理が最終盤を迎えたこの日も、青葉死刑囚は車いすで出廷しました。全身の重度のやけどの影響で、彼の脚は自由に動かず、両手首の皮膚は薄く、剥けやすい状態にありました。そのためか、入廷や退廷の際に手錠をはめられることはありませんでした。収容されている大阪拘置所では、自ら尿瓶を使って小用を足すことはできるものの、排便には介助が必要な状態であると報じられています。
同年9月から始まった一連の公判を通じて、青葉死刑囚は強固な妄想に囚われているという印象を与え続けました。しかし同時に、自らの運命を受け入れているかのような「観念」した言動も垣間見せました。身の回りの世話をしてくれる拘置所の職員に対し、素直に感謝の言葉を述べたり、身体の自由を失ったことで、かつての攻撃的な性格が和らいだと自らを省みる様子も見せたりしました。彼の複雑な内面と、極限状況下での変化が浮き彫りになったのです。
京都アニメーション放火殺人事件は、青葉真司死刑囚の動機、精神状態、そして法廷での言動を通じて、犯罪の深層と人間の心の闇を浮き彫りにしました。この未曾有の悲劇を多角的に理解することは、今後の社会が同様の事件を防ぐために不可欠な一歩となるでしょう。
参考文献:
- 京都新聞取材班 著, 『自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件』, 講談社, 2023年.
- Yahoo!ニュース. (Original source link)