冨田真由さん刺傷事件、警視庁と和解へ:警察の対応不備が争点、被害者が訴え続ける「未来」

音楽活動をしていた冨田真由さんが、ファンであった男にナイフで多数回刺され重傷を負った事件。その発生前に警察に相談していたにもかかわらず、適切な対応がされなかったとして東京都(警視庁)などを訴えた損害賠償請求訴訟が、東京地裁で警視庁側との和解に至る見通しであることが複数の関係者への取材で明らかになりました。この和解は、警察の責任と被害者支援のあり方を問い続ける重要な節目となります。

事件の概要と提訴の経緯

この痛ましい事件は2016年5月、東京都小金井市で発生しました。当時20歳だった冨田真由さんは、出演予定だったライブ会場の近くで、しつこいつきまとい行為をしていたファンであった男に、ナイフで数十カ所を刺され、意識不明の重体となるほどの重傷を負いました。この事件は社会に大きな衝撃を与え、ストーカー規制法の強化など、法整備の議論を加速させる契機ともなりました。

冨田さんとその母親は、事件発生から3年後の2019年、約7600万円の損害賠償を求めて警視庁を提訴しました。訴訟の主要な争点は、事件前に冨田さんが男からのつきまといについて武蔵野警察署に繰り返し相談していたにもかかわらず、同署が生命の危険を看過し、適切な措置を怠ったという点にありました。これに対し、被告である警視庁側は、相談内容から冨田さんの生命に危険が及ぶとは認識できなかったとし、警察の対応に問題はなかったと主張していました。

和解の核心と警視庁側の「見舞金」

関係者によると、今回合意に至る見通しとなった和解案では、警視庁側が「武蔵野署が相談を受けていたところ、被害に遭ってしまったことを重く受け止める」という異例の文言を盛り込み、冨田さん側に「見舞金」を支払うことで和解するとされています。この「見舞金」の具体的な金額は明らかにされていませんが、冨田さん側の代理人弁護士は取材に対し、「一般的な相場を超える金額であり、警察が当時の対応の不十分さを事実上認めたものと受け止めている」と説明しました。警視庁側は和解案において、相談後の対応に法的な「違法性はない」と主張しつつも、このような形で被害者への支払いを提案したことは、警察組織としての責任の重さを認識していることの表れとみられます。東京地裁の和解勧告を受け、今年に入ってから本格的な協議が進められていました。

冨田真由さんの右手の甲に残る、2016年の刺傷事件による傷痕。警察の対応が問われた訴訟と被害の長期的な影響を示す。冨田真由さんの右手の甲に残る、2016年の刺傷事件による傷痕。警察の対応が問われた訴訟と被害の長期的な影響を示す。

法廷での被害者の訴えと警察官の証言

訴訟の中で、冨田さん側は、事件から約7カ月後に武蔵野署長から直接謝罪を受けた事実を挙げ、「警察に対応ミスがあり、それを署長が認めた」と強く指摘してきました。昨年10月の本人尋問では、冨田さん自身が法廷に立ち、「(警察に相談したのに)何もしてくれていなかったことを事件後に知って裏切られた気持ちでした」と、当時の心境を涙ながらに語りました。

一方、2023年12月に証人として出廷した警察官は、冨田さんから「殺されるかもしれない」という言葉は直接聞いていなかったと証言しました。これに対し、冨田さんは「私からすれば、嘘だと思うやりとりばかりが続いた。そんな裁判なら負けてもいいから早く終わってほしい、と思うほど疲れてしまった」と、警察側の主張と自らの体験との乖離に苦悩した心情を吐露しています。ストーカーによる凶悪事件で警察が事前に相談を受けていたという報道に接するたび、「自分のことを思い出し、もし別の担当者に相談していたら助かっていたかもしれないと悲しい気持ちになる」とも語り、被害者としての深い心の傷が今も癒えていないことを示唆しました。

後遺症と被害者の願い

冨田さんは事件で負った後遺障害の治療を現在も続けており、事件前の日常を取り戻すことはできていません。それでも、今回の訴訟を起こしたことには大きな意味があったと信じています。警察が見舞金を支払うことについて、「警察が適切に対応しなかった」という事実を認めたものだと受け止めているからです。

和解という一つの区切りを迎えるにあたり、冨田さんは朝日新聞の取材に対し、「警察には、私と同じような被害が二度と起きないよう、具体的な対策を真剣に考えてほしい」と強く訴えました。そして、「様々な人が救われる未来になってほしい」と、自らの痛みを乗り越え、社会全体の安全と被害者支援の向上への切なる願いを語っています。この和解が、ストーカー被害対策や警察の危機管理体制の改善に向けた具体的な動きに繋がることを、多くの人々が期待しています。