広島原爆80年:「いしぶみ」漫画化が伝える中学生323人の悲劇

今から80年前の1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。この悲劇により、当時、建物疎開作業のため市内に動員されていた旧制広島第二中学校の1年生323人が、上空で炸裂した原爆の直撃を受け、一瞬にして命を奪われました。彼らがどのような状況で最期を迎えたのか、その家族の証言に基づいて克明に記録され、半世紀以上にわたり読み継がれてきた書籍『いしぶみ』が、この度漫画化されました。この漫画は、原爆の記憶を若い世代に継承し、平和の尊さを訴える重要な役割を担っています。

爆心地からわずか500メートル:広島二中1年生を襲った一瞬

広島市の平和記念公園西側、本川沿いに、旧制県立広島第二中学校の大きな慰霊碑が静かに佇んでいます。この石碑には、原爆によって犠牲となった1年生323人と、彼らを指導していた先生方の尊い名前が刻まれています。

1945年8月6日の朝、広島市内では、空襲による火災の延焼を防ぐための建物解体作業「建物疎開」に、多くの中学生や市民が動員されていました。広島二中1年生の集合場所は、まさに本川の土手でした。午前8時15分、米軍のB29「エノラ・ゲイ」が人類史上初の原子爆弾を広島の中心部に投下。地上600メートルで炸裂した原爆の強烈な熱線、爆風、そして大量の放射線は、爆心地からわずか500メートルという至近距離で作業していた1年生たちの命を、跡形もなく奪い去ったのです。

漫画『いしぶみ』に描かれた原爆投下直後の広島の様子漫画『いしぶみ』に描かれた原爆投下直後の広島の様子

半世紀にわたり語り継がれる「いしぶみ」の原点

この物語の原点となるのは、56年前の1969年、広島テレビ放送が広島二中1年生の悲劇をテーマに制作したドキュメンタリー番組「碑(いしぶみ)」です。自らも二中の卒業生であった薄田純一郎さんをはじめとするテレビ局の記者たちは、生徒一人ひとりの命の重さ、そして遺族が抱える深い悲しみを後世に伝え、平和の重要性を世界に訴えることこそが使命だと考えました。

彼らは遺族を丹念に探し出し、調査票を送付し、直接話を聞くという作業を半年がかりで続けました。その結果、計226人もの方々から貴重な証言を得ることができました。子どもたちがどんな様子で家を出て、原爆のきのこ雲の下でどのような目に遭い、どのような思いで最期を遂げたのか。生徒たちの行動と言葉を辿り、彼らの「生きた証」としてテレビ番組を制作したのです。このシナリオをもとに、1970年にはポプラ社から書籍『いしぶみ』が出版され、その一部は日本の多くの教科書にも採用されています。

記憶の継承と未来へのメッセージ:漫画化の意義

被爆80年という節目の年に、より幅広い世代の人々に「碑(いしぶみ)」の物語を伝えたいという強い思いから、この度、漫画化が実現しました。被爆者の平均年齢が85歳を超え、原爆の記憶をいかに若い世代に継承していくかが、現代社会における喫緊の課題となっています。この漫画版『いしぶみ』が、その継承の一助となることが深く願われています。

あの暑い夏の日に子どもたちに何が起きたのか、ぜひ想像してみてください。現在の平和な日本からは考えられないような世界が、かつて存在しました。しかし、残念ながら海外では今もなお戦争が続き、都市が破壊され、たくさんの子どもたちが命を落としています。そして、再び核兵器が使用される可能性も完全に否定できるものではありません。

もし漫画版『いしぶみ』に心を動かされたならば、ぜひ広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れてみてください。被爆者の方々の生の声に耳を傾け、核兵器が通常の兵器とどう異なるのか、もし再び核兵器が使用されたら世界はどのような悲惨な状況に陥るのか、深く考えていただきたいと思います。この物語が、二度と過ちを繰り返さないための教訓として、未来へ繋がる平和への一歩となることを願ってやみません。

飯田政之/サメ マチオ