海上自衛隊は、我が国の防衛を担う上で極めて重要な役割を果たしています。しかし、その任務は常に危険と隣り合わせであり、隊員たちは命の危険に晒されながら職務を全うしています。元海上自衛隊自衛艦隊司令官である香田洋二氏は、現役時代に経験した衝撃的な出来事を振り返り、自衛隊の厳しい現実と、実戦を想定した組織づくりがいかに不可欠であるかを語っています。本稿では、香田氏の貴重な体験談を通じて、海上自衛隊の本質とその任務の重みを深く掘り下げます。
自衛隊の本質:常に死と隣り合わせの組織
海上自衛隊が果たすべきは、紛れもなく我が国の防衛戦闘任務です。この組織は、隊員自身やその仲間が常に死と隣り合わせにあるという本質を理解することが不可欠です。だからこそ、現実の戦闘を想定した「実力主義」に基づいた組織体制が求められます。香田洋二氏の現役時代の経験は、この過酷な現実を雄弁に物語っています。彼は、墜落した自衛隊の航空機の救難任務に7回も従事し、そのすべてでパイロットや乗員が命を落とすという痛ましい現実に直面してきました。
青い空と海を背景に飛行する海上自衛隊の航空機。自衛隊が直面する厳しい任務と防衛への貢献を示唆する。
香田洋二元司令官の体験:墜落機救難任務の現実
香田氏が経験した7回の救難任務では、いずれも搭乗員の死亡が確認されました。特に4回は、ご遺体の一部を回収するという、精神的にも肉体的にも過酷な任務でした。彼の心に深く刻まれたのは、若き日の衝撃的な経験です。
若き日の衝撃:恩師の戦闘機墜落
香田氏が駆け出しの3等海尉だった頃、沖縄沖で戦闘機が墜落する事故が発生し、所属艦は直ちに現場へ急行しました。その墜落機のパイロットは、香田氏が防衛大学校の1年生だった時に、直接指導を受けた4年生の先輩でした。その先輩は、集団生活の規律から時間厳守の鉄則に至るまで、下級生に対し厳しくも温かい指導で人間形成に尽力してくれた恩人でした。
そんな恩師が乗った戦闘機が海に没したという事実に、香田氏は居ても立ってもいられない気持ちで捜索活動に当たりました。しかし、結局、その先輩の遺体も所持品も発見することはできませんでした。その時の悔しさや無力感は、今でも彼の心から消えることはないと言います。
遺体の一部を回収する過酷な任務
次に香田氏が経験した捜索活動は、九州の基地から離陸した戦闘機が墜落したケースでした。当時、彼の乗艦は四国沖で訓練中であり、急報を受けてすぐさま現場へ向かいました。現場の海面には、野球帽のようなスコードロンハットと共に、機体の破片と肉片が浮遊していました。
艦に搭載されたボートに乗り移り、隊員たちはそれらを一つずつすくい上げていきました。これは、ご遺族に引き渡すためであり、何よりも身元を確認するために不可欠な任務でした。この生々しい体験は、自衛隊の任務がいかに過酷であり、隊員たちがどのような覚悟で職務に臨んでいるかを物語っています。
結論:自衛隊への深い理解と支援の必要性
香田洋二元司令官の体験談は、海上自衛隊が単なる組織ではなく、常に命の危険と隣り合わせで国を守る「実戦集団」であるという厳しい現実を浮き彫りにします。彼らの任務は、時に精神的、肉体的に過酷を極めるものであり、私たちは彼らの献身と犠牲の上に安全な生活が成り立っていることを忘れてはなりません。自衛隊がその使命を十全に果たせるよう、彼らの本質を理解し、適切な支援と環境を整備していくことの重要性を改めて認識すべきです。
参考文献
香田洋二, 『自衛隊に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす自衛隊の不都合な真実』, 中央公論新社.