参政党はなぜ危険なのか?エイリアンが示す「政治なき政党」の本質

夏の暑い夜が続き、エアコンなしでは寝苦しい日々も、今や過去の記憶となりつつあります。酷暑が定着し、エアコンが普及した現代では、多くの方が暑さを感じればすぐにスイッチを入れ、24時間稼働させることも珍しくありません。電気代はかさみますが、熱中症で体調を崩すことになれば元も子もありません。エアコンによる熱中症対策は、むしろ安上がりな投資と考えるべきでしょう。

そんなエアコンをつけっぱなしで眠りについたある夜明け、私は奇妙な夢を見ました。喉の痛みに苛まれ、医師の診察を受けると、「ご自身でご覧になってください」と差し出された鏡には、真っ赤に腫れ上がった喉の奥が映っていました。しかし、その光景はただの炎症ではありませんでした。口蓋垂、いわゆる「のどちんこ」が、なんと映画『エイリアン』(1979年、リドリー・スコット監督)に登場する、蛇のようなエイリアンの幼生、チェストバスターの頭になっているのです。それはH・R・ギーガーがデザインした、おぞましくもどこか魅力的な怪物で、ギイイイイと泣きながら蠢いていました。医師は告げました。「あなたの扁桃に寄生しています。引き剥がさないと大変なことになります。すぐに大きく成長し、最後はあなたの顔面を食い破って飛び出してきますよ」と。そして、医師はヤットコのような道具を取り出しました。「えっ、えっ、せめて麻酔をかけて手術するとか…」と狼狽する私に、医師は無情にも言います。「いいえ、手術で切除しても、奴の組織が少しでも残ればそこから再生してしまいます。これで一気に引き抜くしかありません」。その衝撃に呆然自失となり、私は夢から覚めました。

扁桃に寄生するエイリアン(イラスト:モリナガ・ヨウ)。参政党の危険性を象徴するイメージ。扁桃に寄生するエイリアン(イラスト:モリナガ・ヨウ)。参政党の危険性を象徴するイメージ。

夢に現れた「エイリアン」:扁桃と免疫機能の象徴

一体なんという夢でしょう。現在流行している新型コロナウイルス感染症のニンバス株は、「カミソリで切るほどの喉の痛み」が特徴だそうですが、幸いにも私はまだ罹患していません。確かに子どもの頃は扁桃が弱く、すぐに扁桃炎で喉を腫らしていましたが、このような生々しい夢は初めての体験です。当時の医学では、扁桃は「無用の器官」と考えられ、「こんなに腫れるなら、いっそ手術で取ってしまったほうがいいかもしれませんね」などと医師に言われたものです。しかし、その後の医学の進歩により、扁桃には口や鼻から体内に侵入する細菌やウイルスに対して、免疫機能を発動する重要な役割があることが判明しました。安易に炎症を起こすからといって、簡単に切除して良い組織ではなかったのです。

寝ても覚めてもいない、まどろみの状態で、私はこの夢を反芻しました。免疫機能を持つ扁桃を食い破り、最終的に顔面を突き破って飛び出してくるエイリアンとは一体何を表しているのか?すぐにその答えに気づきました。喉ちんこのエイリアンは、私にとって他ならぬ参政党の象徴だったのです。なぜなら、7月の参議院議員選挙以降、私は参政党について深く調べ、考え続けていたからです。しかし、なぜ参政党が、扁桃を食い破り喉の奥から顔面を破って飛び出してくるエイリアンに例えられるのか、その理由を明確に説明する必要があるでしょう。なにしろ、非常に多くの人々が参政党に投票したのですから。ギーガーがデザインしたエイリアンに例えるには、それ相応の危険性と理由があるのです。

エイリアンが示すもの:参政党への深い憂慮

去る7月21日、第27回参議院議員選挙の結果が出そろった時、私は深い絶望感を覚えました。参政党の大躍進が決まったからです。私からすれば、参政党の危険性はあまりにも明白でしたが、世間にはそうではないと考える人も多かったようです。いや、「ようだった」ではなく、はっきりと「多かった」と言わざるを得ません。各種メディアの事前予測は、既存政党の退潮と、参政党の大幅な議席獲得を示していました。統計学的な手法で行われる事前予測が大きく外れることはないことを知りながらも、私は何かの間違いであってほしいと願っていましたし、以前の連載記事でも参政党の問題点を指摘する記事をいくつか書いたことがあります(例:「ゆるふわ国家意識の終着点・決戦兵器『伏龍』」、「『日本人ファースト』が破壊する日本人が住みやすい環境」)。

私の文章が大勢からすれば蟷螂の斧(とうろうのおの)であることは自覚しています。しかし、それでも参政党が大量の票を獲得し、一躍14人もの参議院議員を擁するに至ったことに、私は大きく失望し、改めて強い危機感を抱かざるを得ませんでした。この文章を読んでいる方の中には、参政党に投票した方や、参政党に好意的な方もおられるでしょう。なぜ松浦(筆者)が、これほどまでに参政党を危険視するのか理解できない方も少なくないかもしれません。

「政治なき政党」としての参政党の危険性

しかし、断言します。参政党は間違いなく大変に危険な存在です。その最も根本的な理由は、彼らが「政党」のふりをしてはいるものの、実質的に「政治」を行っていないからです。通常の政党は、具体的な政策を掲げ、実現可能性を議論し、他党との連携や妥協を通じて国益のために活動します。彼らは、様々な意見を持つ国民の声を吸い上げ、現実的な解決策を模索しながら、社会の課題に取り組むべきです。しかし、参政党に見られるのは、往々にして扇動的な言動や、複雑な問題を単純化しすぎる傾向です。彼らの主張は、一部の支持層には魅力的に映るかもしれませんが、国民全体の利益や社会の安定に資する「政治」とは一線を画しているように見えます。

「政治」とは、多岐にわたる利害関係や価値観が衝突する中で、共通の合意点を見出し、社会全体がより良くなるための道筋を示すプロセスです。それは、時には痛みを伴う決断や、理想と現実の狭間での苦悩を伴います。しかし、参政党の活動を見ていると、このような建設的かつ現実的な「政治」のプロセスが欠如しているように感じられます。むしろ、強いメッセージで支持を集めることに終始し、具体的な政策実現への責任や、多様な意見を統合する努力が見えにくいのです。この「政治なき政党」という性質こそが、免疫機能を破壊するエイリアンのように、日本の政治システムや社会の健全性を蝕む可能性を秘めていると私は強く危惧しています。

結論として、私の見た夢の中のエイリアンが扁桃に寄生し、最終的に宿主を破壊するように、参政党の「政治なき政党」としての本質は、日本の政治に深刻な影響を及ぼす可能性があります。彼らの躍進は、有権者が既存政治に抱く不満の表れかもしれませんが、真に建設的な未来を築くためには、その本質を見極め、批判的に評価することが不可欠です。


参考文献: