文部科学省の調査が示すように、全国の小・中学校における不登校児童生徒数は34万人を超え、過去最多という深刻な状況に直面しています。不登校の原因は多岐にわたりますが、学校が子どもたちにとって「安心して、生き生きと学べる場所」として機能していないことが、登校困難の一因となっているケースも少なくありません。子どもたちが安心して学校に通い、その可能性を最大限に引き出すためには、どのような視点や具体的な取り組みが必要なのでしょうか。本記事では、特別支援教育の実践と深い知見を活かし、前任校で「不登校ゼロ」の学校運営を達成した埼玉県熊谷市立妻沼小学校校長の板倉伸夫氏の取り組みに焦点を当て、その教育哲学と実践から、未来の学校運営のヒントを探ります。
「100歩先行く校長先生」:板倉伸夫氏の教育哲学
板倉伸夫氏の教育実践は、その温かいまなざしと子どもたちへの深い理解によって、多くの教育関係者から高い評価を受けています。熊谷市立富士見中学校通級指導教室教諭の三富貴子氏は、板倉氏を「100歩先行く校長先生」と称し、その教育活動を共に経験してきた中で感じた感動を語ります。三富氏によれば、板倉氏は常に子どもたちの中心に自然と集まる存在であり、多忙な日々の中でも、支援を必要とする生徒の登校状況を毎朝必ず確認していたといいます。また、教員に対しても、SOSを出す前に気づいて手を差し伸べ、「大丈夫、大丈夫」と寄り添う姿勢は、多くの同僚に安心感を与えてきました。地域の学校において、特別支援教育のバックグラウンドを持つ管理職はまだ少数派ですが、三富氏はこの専門知識を持つリーダーが学校をマネジメントすることで、組織全体が安定すると強く感じていると述べます。
養護学校での経験と「待つ」ことの学び
埼玉県で教員としてのキャリアを養護学校(現・特別支援学校)でスタートした板倉氏も、新人の頃は「こんなに頑張って教材研究をしているのに、なぜ子どもは成長しないのだろう」と悩む日々を過ごしていました。しかし、先輩教員からの指導や、子どもたちとの関わりの中で試行錯誤を繰り返すうちに、「待つこと」の重要性を深く学んだといいます。板倉氏は、「待つことができるようになると、子どもたちが自発的に様々なことができるようになっていきました。教員は親切心からすぐに介入してしまいがちですが、教員の仕事はまさに『タイミングを計ること』なんです」と語ります。エラーが起こる状況を冷静に分析し、子どもたちが主体性を発揮できる適切な機会を与えること。この「待つスキル」は、特別支援教育に限定されず、通常の学級においても教員が身に付けるべき上位スキルであると板倉氏は強調しています。
不登校問題に取り組む埼玉県熊谷市立妻沼小学校校長、板倉伸夫氏。特別支援教育の知見を活かした学校運営で注目される。
特別支援教育の制度化と通常学級への広がり
養護学校で8年間の経験を積んだ後、板倉氏は熊谷市立富士見中学校に異動し、特別支援学級の担任となりました。当時の校長は特別支援教育の経験がなかったものの、毎日のように板倉氏の教室を訪れ、「これからは一人ひとりを見る時代になる。特別支援教育は絶対に教育の中心になるから、頑張れよ」と温かい励ましの言葉をかけ続けたといいます。この言葉を支えに指導を続ける中、大きな転機が訪れます。2007年の特別支援教育制度化です。当時在籍していた学校が文部科学省指定研究開発学校として研究委嘱を受け、特別支援教室構想に取り組むことになり、板倉氏は初代の特別支援教育コーディネーターに任命されました。
この役割を通じて、学校全体を見渡し、通常学級の生徒や先生たちとのコミュニケーションを深める中で、板倉氏は通常学級にも数多くの「困難さを抱える子ども」が在籍しているという現実に直面します。当時は現在よりも一律的な指導が当たり前だったため、先生方の固定観念を取り除き、特別支援教育の視点を浸透させるには大変な苦労があったといいます。しかし、板倉氏は一斉授業の改善や、学びに困難のある子どものフォローなど、多角的な取り組みを進めました。
不登校支援の光と影:過去の経験から得た教訓
この時期は、不登校への対応にも尽力することになった時期でもあります。しかし、板倉氏自身、今振り返ると反省の念もあると語ります。当時の不登校支援では、まず保健室登校を1週間、次にクラスで朝1時間だけ過ごすといった、いわゆるスモールステップでの登校支援を進めていました。しかし、この方法は、子ども本人の背景や気持ちを十分に考慮せず、学校側が一方的に提案する形であったと板倉氏は振り返ります。その結果、生徒たちのエネルギーは枯渇し、長期欠席に至ってしまった子どももいたといいます。「子どもたちに申し訳ないことをしてしまった」という板倉氏の言葉は、単なる表面的な対応ではなく、子ども一人ひとりの内面に深く寄り添うことの重要性を私たちに教えてくれます。
まとめ
板倉伸夫氏の教育実践と経験は、不登校が社会問題として深刻化する現代において、学校が子どもたちにとって真に「安心して学べる場所」となるための重要な示唆を与えてくれます。養護学校での「待つスキル」の習得、特別支援教育コーディネーターとしての通常学級での気づき、そして不登校支援における過去の反省点。これらすべての経験が、子ども一人ひとりの背景や気持ちを尊重し、個別最適な支援を追求することの重要性を浮き彫りにしています。特別支援教育の知見を学校運営の中心に据えることで、私たちは不登校問題の根本的な解決に繋がり、すべての子どもたちがその可能性を存分に伸ばせる教育環境を構築できるはずです。板倉氏の取り組みは、これからの日本の教育、そして世界の子どもたちの未来を考える上で、貴重な道標となるでしょう。
参考文献
- 東洋経済education × ICT (Yahoo!ニュース)