近年、「撮り鉄」と呼ばれる鉄道写真愛好家によるマナー違反や迷惑行為が多発し、社会問題となっています。鉄道事業者や地域住民は頭を悩ませ、人気路線の運行情報非公開化といった異例の事態に発展するケースも出てきました。かつては「紳士淑女の趣味」と称された鉄道写真の世界で一体何が起きているのでしょうか。本記事では、各地で報告されている撮り鉄による問題行動の実態と、その背景にある「鉄道愛」の歪み、そして専門家が提唱する鉄道写真文化のあり方について深く掘り下げます。
ひまわり畑に響く怒号:ドクターイエロー撮影現場でのトラブル
夏のある日、岐阜県大垣市の約3ヘクタールのひまわり畑に、観光客を威嚇するような罵声が響き渡りました。声の主は、鉄道写真を趣味とする撮り鉄たち。彼らは、大垣の夏の風物詩である約14万本のひまわり越しに、東海道新幹線を撮影するために集まっていました。
中でも彼らが狙っていたのは、「幸せを呼ぶ」と言われる黄色い新幹線、ドクターイエローです。JR東海の車両はすでに引退しましたが、JR西日本のドクターイエローは今もおよそ10日に一度走行しており、多くの撮り鉄が、ひまわりとドクターイエローの「黄色の共演」をカメラに収めようと集結しました。しかし、一部の撮り鉄は、撮影の妨げとなる一般の見物客に対し、怒号を上げて追い払うという傍若無人な振る舞いに出たのです。
ひまわり畑の開催・運営を行う「大垣ひまわり畑実行委員会」は、こうした事態を受けて8月8日に公式サイトで異例の注意喚起を発表しました。「今後はこの様な怒号等が飛び交うならば、ひまわり畑の三脚・脚立・踏み台等の持ち込み自体を禁止することを検討します」と警告し、事態の深刻さを浮き彫りにしました。
岐阜県大垣市で満開のひまわり越しに走行するドクターイエローを撮影する鉄道愛好家たち
私有地への無断侵入と庭木切断:しなの鉄道が運行情報非公開へ
ひまわり畑での一件に限らず、撮り鉄による迷惑行為は全国各地で報告されています。その最も衝撃的な事例の一つが、長野県北部を走る「しなの鉄道」で発生しました。
しなの鉄道では、旧国鉄時代に製造された115系車両をJR東日本から譲り受け、クリーム色と青色の「横須賀色」や、緑にオレンジの「湘南色」など、貴重な6編成を運行しています。同社は長年にわたり、鉄道ファンに親しんでもらおうと、毎月公式サイトで列車の運行日・時間・運行経路を示した「運行予定表」を公開してきました。しかし、今年8月上旬、重大なマナー違反が勃発。一部の撮り鉄が走行中の115系を撮影しようと、なんと民家の敷地に無断で侵入し、さらに庭先の木を切断するという信じられない行為に及んだのです。
この事態を受け、しなの鉄道は「社内で協議し、残念ながら運行予定表の公表を終えることにしました」と発表。10年以上にわたる運行情報の提供を中止するという苦渋の決断を下しました。鉄道事業者側の「多くの人に115系に親しんでもらいたい」という善意が、一部の撮り鉄の身勝手な行動によって裏切られ、結果として他の善良な鉄道ファンも運行情報を得られなくなるという最悪の結末を招いた形です。
「鉄道愛」が招くマナー崩壊:専門家が警鐘を鳴らす
撮り鉄の行動原理は「いい写真を撮りたい」という純粋な情熱に尽きます。しかし、その情熱が時に、マナー違反や迷惑行為、さらには犯罪行為へと繋がってしまうのはなぜでしょうか。
関東地方のあるローカル線の関係者は、「マナーを守らない撮り鉄はお客様ではありませんよ」と憤りを隠しません。線路内に入った撮り鉄に注意したところ、「あんたは警察か」と逆ギレされた経験も語られています。
迷惑行為に及ぶ撮り鉄はごく一部に過ぎないと言われますが、なぜここまでマナーが崩壊してしまったのでしょうか。全国の鉄道を取材するフォトライターの矢野直美さんは、「撮影以外のことがないがしろにされていると感じます」と分析します。
「いい写真を撮りたいという思いは、誰もが持っています。しかし、本当に鉄道を愛しているのであれば、運行の邪魔をしたり、周囲に迷惑をかけたりする行動はしないはずです。撮影さえできればいいとルールやマナーを破りがちになっているのではないでしょうか」
矢野さんは、鉄道写真の趣味を「紳士淑女の趣味」と表現します。ホームに三脚や脚立を立てない、線路内や個人の私有地に立ち入らない、運転士に向けてストロボをたかない――。鉄道を愛する者としての気品を持ち、互いに敬意を払いながら、こうしたルールやマナーを守って撮影することが、本来の姿であると強調します。
「それは、自分の命を守るためでもあります。そして、迷惑行為が増えると規制は厳しくなり、撮影環境はますます悪化します。鉄道があるから写真を撮れるのであって、写真を撮るために鉄道は存在するわけではありません。そのことを忘れずに、鉄道写真を楽しんでほしいと思います」
鉄道写真文化の持続可能性のために
撮り鉄によるマナー問題は、単なる一部の悪質な行為に留まらず、鉄道写真という文化全体の持続可能性を脅かす深刻な課題となっています。鉄道事業者の善意や地域住民との良好な関係を損ねる行為は、最終的に撮影機会の減少や規制強化という形で、全ての鉄道愛好家に跳ね返ってきます。
今一度、「紳士淑女の趣味」としての品格を取り戻し、鉄道への敬意、地域社会への配慮、そして互いの撮影環境を守るための最低限のルールとマナーを徹底することが求められます。鉄道写真を楽しむ全ての人々が、その情熱を行動規範と調和させ、「鉄道があるから写真を撮れる」という本質を心に留めることで、豊かで健全な鉄道写真文化が未来へ続いていくことでしょう。
参考文献
- AERA編集部・野村昌二 (著). (記事掲載媒体). (最終閲覧日).
- Yahoo!ニュース. (記事掲載媒体). (記事URL). (最終閲覧日).