2025年8月15日、日本政府は「日本がスパイ天国とは考えていない」とする答弁書を閣議決定した。これは昭和50年代から自ら唱えてきた「スパイ天国」説を否定する形だが、果たして国民がこれを信用しただろうか。過去の事例を振り返ると、日本の防諜体制に対する疑問は根強く残る。特に2000年に世間を騒がせた海上自衛隊の情報漏洩事件は、その実態を浮き彫りにする。
2000年「自衛隊スパイ事件」の衝撃とメディアの過熱
2000年9月7日、海上自衛隊の三等海佐が情報漏洩の容疑で逮捕され、当時の世間は20年ぶりの「自衛隊スパイ事件」に沸いた。マスコミはこれを「ゾルゲ事件の再来」などと書き立て、国民の関心は一気に高まった。しかし、「週刊新潮」が得た情報筋の証言によれば、事態はメディアの報じたものとは異なっていたようだ。専門家からは「渡った情報に価値はなかった」「こんな事件で大騒ぎするとはスパイに対する感覚がズレている」と、事件の過熱ぶりをあきれる声も上がっていたという。それから25年が経過した現在、日本の防諜活動はどれほど進化したのだろうか。
2000年、成田空港から出国するロシア大使館のボガテンコフ大佐。海上自衛隊情報漏洩事件のキーパーソン
密会現場の緊迫:外国人将校と日本の接触
自衛隊のA三佐が連行された2000年9月7日、警視庁と神奈川県警の合同捜査本部の捜査員が踏み込んだのは、都内浜松町駅前のテナントビル7階にあるバーの密会現場だった。バーの店員の証言によると、夕方6時半頃、口髭をたくわえた外国人が一人で入店し、「7時から2人の席を予約したい」と流暢な日本語で伝えた。予約したのはロシア大使館のボガテンコフで、身長165センチほどの小柄ながらがっちりした体格だったという。
午後7時頃、ボガテンコフはA三佐と二人で再び店に現れ、窓際のボックス席に着席。黒ビールと生ビールのハーフ&ハーフやモスコミュールといった飲み物を注文した。その約10分後、3〜4人ずつのグループ客が次々と入店し、計10人の男性と4人の女性が二人の席を取り囲むように座ったという。この緊迫した状況下で、日本の機密情報が闇に流出していた可能性が指摘される。
本件は「スパイ事件“未満”」と評されたものの、外国人将校と日本の自衛隊員が接触し、情報交換が行われた事実は、日本の国家安全保障における脆弱性を露呈した。政府が「スパイ天国」説を否定する一方で、我々はこのような過去の事例から何を学び、防諜体制を強化していくべきなのか、国民的な議論が求められている。
(本記事は「週刊新潮」2000年9月21日号「スパイ天国・ニッポン ロシアはどんな情報を欲しがったのか」を再編集したものです。文中の肩書等は掲載当時のものです)