高市早苗新首相誕生の陰で:国民民主党・玉木雄一郎代表が逸した二度の「与党入り」機会

自民党と日本維新の会による連立政権の樹立が合意され、10月21日の衆参本会議で第104代首相に高市早苗総裁(64)が指名される運びとなりました。これにより、ついに女性初の総理大臣が誕生します。歴史的なこの政局において、本来であれば与党の一員としてこの場に立つ可能性があったのが、国民民主党の玉木雄一郎代表(56)でした。高市新首相誕生という大きなニュースの裏で、玉木代表がなぜその機会を逃したのか、政界関係者の声や世論の反応を交えながら深掘りします。

自民・維新連立の舞台裏と玉木氏へのアプローチ

自民党と日本維新の会による連立合意書が交わされた後の会見では、高市総裁と維新の吉村洋文代表(50)が笑顔で握手を交わし、新政権の船出を印象付けました。しかし、与党事情に詳しい政治ライターは、この連立協議の過程で、高市総裁から国民民主党の玉木代表への与党入りのアプローチがあったことを指摘しています。

玉木代表はこれを否定するでしょうが、実際には高市総裁からの誘いがあったにもかかわらず、慎重姿勢を崩さず、決断を焦らしている間に維新に先を越された形です。「野党脱却の千載一遇のチャンスだったはずが、タイミングを読み違えた感は否めない」と指摘されるように、国民からの信用が揺らぐ自民党との「合流」に慎重だったのは理解できるものの、「政局を読む力」の欠如は党首として致命的になりかねません。

首相指名選挙での「玉木雄一郎」案と拒否の背景

玉木代表には、自民党との連立に留まらず、さらには政権交代の主役となる機会すらありました。首相指名選挙において、最大野党である立憲民主党が、高市総裁の「対抗馬」として「玉木雄一郎」への投票を国民民主党に提案していたのです。しかし、国民民主党はこの提案に否定的な反応を示しました。

ネット上では、「首相になる責任から逃げている」「及び腰だ」といった揶揄の声が上がりましたが、玉木代表は「即決できないのは政策的な問題」と説明し、あくまで自身には「首相を務める覚悟はある」と繰り返し強調しました。より優位な立場を確保するために、高市総裁の「出方」を伺っていたと見られますが、その間に維新が巧みに政権の中枢へと滑り込んだのです。

国民民主党 玉木雄一郎代表、連立政権参画の機会を逸す国民民主党 玉木雄一郎代表、連立政権参画の機会を逸す

「外野」からの批判と高まる世論の不満

二度の大きな機会を“スルー”した玉木代表は、自民・維新連立を受けての取材で、高市総裁らが掲げた「物価対策」や「議員定数削減」について、「今のままでは非常に難しい合意内容」「今の時点では賛成という、中身はちょっと後退した」と、終始「野党的」な立場からの批判的な物言いを展開しました。

こうした玉木代表の姿勢に対し、SNS上では「いつもの通り空気感を見て逃げた」「なぜ責任と覚悟から逃げるのか」といった厳しい意見が相次いでいます。さらに、「国民民主党ではなく国民外野党に改名したらどうか」「結局は口だけの人」「責任を取らずに外野から文句を言っているだけの万年野党が楽なのだろう」といった、彼の政治的決断の遅れや曖昧さに対する失望と不満の声が広がり、「口だけ」「野党の方が楽」というイメージが定着しつつあります。

結論

高市早苗氏が女性初の首相となる歴史的瞬間の裏で、国民民主党の玉木雄一郎代表は、連立政権への参加、あるいは自身が首相候補となる二度の決定的な機会を逸しました。政局を読み違え、高市総裁からのアプローチや立憲民主党からの首相指名提案に慎重な姿勢を貫いた結果、最終的に政権与党の座は日本維新の会に渡りました。この一連の出来事は、玉木代表の「決断力」や「政局観」に対し、国民や政界から厳しい目が向けられるきっかけとなりました。今後の国民民主党の立ち位置、そして玉木代表のリーダーシップがどのように評価されていくのか、その動向が注目されます。


参考文献