ひきこもりを乗り越えた母親:依存と苦悩、そして見つけた「自分の居場所」

厳しい環境で育ち、常に他者の期待に応えようとしてきた一人の女性がいた。21歳で結婚し2児の母となった縁野朝美さん(64=仮名)は、長男が25歳でひきこもり始めたのを機に、自身の人生も大きく揺さぶられることになる。介護職でのやりがいを感じる一方で、同僚の自死をきっかけとした過労と自身のラクナ梗塞発症が重なり、気力を失って息子と共にひきこもってしまう。自責の念から家で荒れ狂っていた朝美さんと息子は、一体どのようにして人生を取り戻し、「自分の居場所」を見つけ出したのか。これは、深い孤独と絶望から自己再生へと向かう、ある母親の物語である。

長男のひきこもりと自身の精神的限界:家庭内の暴発

朝美さんが介護の仕事を辞め、ひきこもり生活に入ったのは54歳の時だった。当時32歳だった長男と共に、その生活は3年にも及んだ。「気持ちが落ちていると、何もかもマイナスに捉えてしまい、息子のひきこもりも私のせいだと思い込んでいました。まるで世界中が私を責めているかのように感じ、世の中の全てが怖くてたまらなかった」と朝美さんは当時を振り返る。買い物はマスクをして夜中にこそこそと出かける日々。しかし、「息子を守らなければ」という強い思いだけは失わず、毎日料理を作り、洗濯や掃除を続けたという。「もし息子がいなかったら、まともに生きていられなかったかもしれません」と語る。

その頃の記憶はほとんどないという朝美さんだが、酒を飲んで家で大暴れし、物を壊すことが何度かあったらしい。後日、息子から「とうとう頭がおかしくなったと思った」と言われた時には、苦笑するしかなかったという。実は朝美さんがひきこもる前、息子も家で荒れる時期があった。25歳でひきこもり、30歳を過ぎても一向に動く気配のない息子を「いつまでそうしているの」と責めてしまったことで、息子は行き場のないストレスを壁にぶつけ、3箇所も穴を開けた。夜中にわめいたり、大声でヘビメタを歌ったりして近所から苦情が来たこともある。母と子が入れ替わるように家庭内で暴れる中、息子は黙って母を見守っていたという。

自宅で一人、深い苦悩に沈む女性の姿。ひきこもりと孤独感の中で、生きる意味を問い直す母親の心情を表す。自宅で一人、深い苦悩に沈む女性の姿。ひきこもりと孤独感の中で、生きる意味を問い直す母親の心情を表す。

友人の危機が示した「生きる意味」:回復への第一歩

深い心の淵に沈んでいた朝美さんを動かしたのは、一本の電話だった。友人の娘から、母親である友人が重症の肺炎で生命維持装置につながれているという連絡が入ったのだ。朝美さんは自転車で一日おきに見舞いに通った。

「友人はICUに3か月もいて、全く起き上がれない状態でした。手足に麻痺も残ったけれど、彼女は驚くほどポジティブで、『何とかなるから大丈夫』と言いながらリハビリを続け、見事に仕事にも復帰したんです」朝美さんは、その友人の姿を見守るうちに、「自分もこんなことしていてはいけない」と強く感じたという。1年間にわたる病院通いは、朝美さんにとって心の「リハビリ」となり、社会復帰への大きなきっかけとなったのだ。

朝美さんが外に出るようになると、今度は息子が自身の苦悩を吐露するようになった。30年前に甥っ子3人を預かったこと、20年前に義両親の介護に明け暮れたこと、仕事で過労になったことなど、朝美さんが「家族を後回しにして自分から苦労を引き寄せてきた」と息子は責めた。そして、「俺はそのしわ寄せを受けて貧乏くじを引いてきた」と、自身がいかに我慢を強いられてきたかを毎晩のように聞かされたという。

「楽しんでいいの?」自己肯定への気づきと新たな出発

ある日、息子は朝美さんに決定的な質問を投げかけた。「お母さんは何が楽しくて生きてるの?」「何か好きなコトはないの?」

その問いに対し、朝美さんは何も答えることができなかった。「それまで、誰かに頼られると頑張れる、というような生き方をしてきてしまって、自分は楽をしてはいけないと思い込んでいたんです。人が楽しんでいるのを見ても、それはテレビの向こうの別世界の話で、自分とは関係ないことだと感じていました」

しかし、息子の言葉が朝美さんを深く突き動かした。「エエッ、楽しんでいいの?」――。長年抱えていた自己否定の鎖が解き放たれるように、彼女は初めて「自分の好きなことをしていいんだ」と気がついたのだ。この気づきは、朝美さんが自身の人生を取り戻し、新たな「居場所」を見つけるための、まさに人生の再出発点となった。依存と苦悩の日々から脱却し、自己肯定感を育むことで、朝美さんは自分らしい生き方を見つける一歩を踏み出したのである。

ひきこもり状態から回復し、笑顔を見せる縁野朝美さん。自己肯定感を取り戻し、新たな人生の居場所を見つけた母親の姿。ひきこもり状態から回復し、笑顔を見せる縁野朝美さん。自己肯定感を取り戻し、新たな人生の居場所を見つけた母親の姿。

参考文献