長年にわたる分裂抗争を終結させた六代目山口組は、現在、大規模な組織再編を進めている。これは、組織内部の権力構造に大きな変化をもたらし、特に竹内照明若頭の台頭と、高山清司相談役の「表舞台からの退場」という形で顕著に表れている。しかし、この「隠遁」の裏には、組織の未来を見据えた高山相談役の戦略的な意図が隠されているとの見方も強い。
山口組の外交戦略と竹内若頭の台頭
六代目山口組は、全国の友好団体や親戚団体との関係強化に注力している。最近では、10月17日に稲川会と松葉会による恒例の「親睦会」が開催され、注目を集めた。警察関係者によると、このような外交の場に司忍組長が出席する機会は限られており、多くの場合、竹内照明若頭が代理を務めているという。稲川会の内堀和也会長とは「五分の兄弟盃」を交わすなど、竹内若頭は他団体との関係構築に深く関与している。
警察当局は、この動きを六代目山口組が「竹内七代目」を暴力団業界内外に印象付ける狙いがあると分析している。これは、次期組長としての竹内若頭の地位を確固たるものにするための戦略的な一歩と見られている。
高山清司相談役の「要塞豪邸」と隠れた影響力
対照的に、かつて若頭を務めた高山清司相談役は、分裂抗争終結宣言後に「相談役」に就任して以来、ほとんど公の場に姿を見せなくなった。組織内の重要な会議には顔を出すものの、以前のような表舞台での活動はほとんどない。
実話誌記者は、高山相談役が三重県桑名市の閑静な住宅街にある広大な邸宅で「抗争の疲れを癒している」と語る。この邸宅は地元住民にも広く知られており、「桑名」というだけでその存在が通じるほどだ。敷地は約100坪に及び、白い塀に囲まれた重厚な日本家屋と手入れの行き届いた日本庭園が特徴。複数の組員が常駐し、日々の手入れを行っているという。
六代目山口組の組織再編におけるキーパーソン、司忍組長と高山清司相談役。山口組の未来を占う二人の表情。
この「要塞」とも称される邸宅は、過去には襲撃の標的となったこともある。2020年2月2日には門扉に銃弾が撃ち込まれる事件が発生したが、当時高山相談役(当時は若頭)は不在だった。暴力団関係者や警察関係者は、この事件を受けて「単独での襲撃では無意味であり、本気で高山若頭を狙うなら複数人、あるいはロケットランチャーでも撃ち込まなければ」と漏らしたといい、その厳重な警備と要塞のような堅牢さがうかがえる。抗争の最中には警察官が常駐するなど、その重要性が示されていた。
「相談役」就任の戦略的背景
高山相談役が抗争終結宣言後に「相談役」に就任し、「執行部(若頭、若頭補佐らで構成される組織運営の中核)」を外れたことは、当時、暴力団関係者の間で大きな話題となった。一部には高齢に伴う体調不安説も囁かれたが、実話誌記者は「組織内では『山口組内部に高山相談役に敵う人物はいない』と言われるほどの存在感と権力があった」と指摘する。
山口組が分裂に至った背景には、強力な権力を持つ高山相談役に対する不満が根強かったとも言われる。しかし、高山相談役は分裂相手に対し徹底的な抗争を仕掛け、圧倒的な戦力差をつけた功績があるため、「七代目は高山相談役だ」という声も当然大きかった。
「七代目」の座まであと一歩という段階で身を引いたのは、高山相談役自身の明確な狙いがあったと見られている。一般的に、権力を手にした者は後進に道を譲ることをためらいがちだが、高山相談役が自ら真っ先に身を引いたことで、他の重鎮たちも後進にその座を譲らざるを得ない状況が生まれた。これにより、竹内若頭は腹心たちで組織を固めることができた。組織関係者の間では、「彼らは高山相談役には頭が上がらず、高山相談役はいまも若頭のままだ」と語られるほど、その影響力は依然として絶大だ。
警察の警戒と高山・竹内関係の深層
こうした六代目山口組の動きに対し、警察当局は変わらず強い警戒を抱いている。竹内若頭は司忍組長と高山相談役の出身母体である弘道会出身であり、高山相談役との縁で山口組に入ったとされる。「竹内若頭にとって高山相談役が実の親」とまで言われるほど関係が深いため、警察も「竹内若頭の指示は高山相談役の意志である」と見て、組織全体の動きを注視している。
まとめ
六代目山口組は、分裂抗争の終結を経て新たな組織体制への移行期にある。竹内照明若頭が表舞台での外交を担い、「竹内七代目」としての存在感を確立しようとする一方で、高山清司相談役は「相談役」として隠遁生活を送りながらも、その戦略的な「身退き」によって組織の権力構造を間接的に支配している実態が明らかになった。対立する抗争相手が未だ健在である中、日本最大の暴力団組織の「頭脳」が、今後どのようにその手腕を発揮していくのか、内外からの関心は尽きない。





