サトシ・ナカモトの謎に迫る:ニューズウィークの報道とドリアン・ナカモトの真実

ブロックチェーン技術を考案し、世界初の分散型デジタル通貨ビットコインを生み出したとされる「サトシ・ナカモト」。その正体は未だ謎に包まれ、世界中で多くの憶測を呼んでいます。2014年、この長年のミステリーに一石を投じたのが米国の週刊誌ニューズウィークの特集記事でした。同誌は、カリフォルニアに住む日系アメリカ人エンジニア、ドリアン・プレンティス・サトシ・ナカモトこそがビットコインの生みの親であると報じ、世界中の注目を集めました。この衝撃的な発表は、ビットコインコミュニティに大きな波紋を広げ、メディアと匿名性、そして報道倫理に関する議論を巻き起こすことになります。本稿では、ニューズウィークの報道から、ドリアン・ナカモトへの取材、そしてその後の混乱に至るまで、サトシ・ナカモトの正体追及を巡る一連の出来事を詳細に追っていきます。

ビットコイン開発者サトシ・ナカモトの正体を象徴するイメージビットコイン開発者サトシ・ナカモトの正体を象徴するイメージ

「ビットコインの顔」と名指しされた男:ドリアン・プレンティス・サトシ・ナカモト

2014年3月6日の朝、AP通信のメディア&テクノロジー担当記者ライアン・ナカシマは、携帯電話でニュースの見出しをチェックしていました。彼の目に飛び込んできたのは、既に世界中のメディアで話題になり始めていたニューズウィーク誌の特集記事でした。表紙には仮面の男のイラストが大きく描かれ、その上には「ビットコインの顔」という文字が躍っていました。この記事は、ナカシマが担当するテクノロジーとメディアの双方に深く関わる内容でした。セルジオ・デミアン・ラーナーの研究が、サトシ・ナカモトが110万枚ものビットコインをマイニングしながら一切使っていないことを示し、再び「サトシ・ナカモトは誰なのか」という疑問に焦点が当たっていました。突如として、無名の技術者、あるいは複数の技術者たちが世界有数の大富豪の仲間入りをしていたのです。

当時、ナカシマが追っていた大きなテーマの一つが、新聞や雑誌といった既存メディアの衰退でした。ニューズウィーク誌自体も二度の売却を経験し、2012年末には紙媒体を廃止していました。最新のオーナーであるIBTメディアは紙媒体の復活を試みていましたが、メディア間の競争はかつてないほど熾烈な状況でした。そのような背景の中で、ナカシマが目にした4500語にも及ぶ特集記事は、まさに世間を揺るがす衝撃を与え得るものでした。

ニューズウィーク誌の記者リア・マクグラス・グッドマンは、これまでの記者たちが「サトシ・ナカモト」を偽名と捉えていたのとは異なるアプローチを取りました。彼女は帰化申請のデータベースを丹念に調べ上げ、日本生まれの米国市民であるドリアン・プレンティス・サトシ・ナカモトという人物を発見しました。この男性は、非常に興味深い経歴の持ち主でした。当時64歳の失業中のエンジニアで、カリフォルニア州立ポリテクニック大学で物理学を学んだ過去がありました。彼の妻の証言によれば、彼は文末のピリオドの後にスペースを2つ空ける癖があり、また米国式と英国式の両方のスペルを使い分けるという特徴も持っていました。

疎遠になっていた彼の兄弟はグッドマンに対し、ドリアンは「クソ野郎」だと語り、彼がかつて政府の機密プロジェクトに関わっていたことに言及しました。さらに、「あいつの人生にはしばらくの間、何してたのかわからない空白期間があるんだ……全部否定するだろうけどな」と付け加えました。また、ドリアンが前立腺がんや脳卒中などの健康上の問題を抱えていたという情報も、サトシがビットコインプロジェクトから突然姿を消した状況と一致しているとグッドマンは指摘しました。

決定的瞬間:グッドマン記者とドリアン・ナカモトの対峙

2月初旬、グッドマンはドリアンが以前鉄道模型を注文した会社から彼のメールアドレスを入手し、彼の趣味について尋ねるメールを送りました。ドリアンは、10代の頃から鉄道模型が好きで、「手動旋盤やフライス盤、平面研削盤」を使って自分で部品を作るほどだと返答しました。しかし、経歴に関する質問には「言葉を濁す」ような反応を示し、ビットコインに関する質問を始めた途端、まったく返事をしなくなったといいます。ドリアンの息子エリックも、父はビットコインについて絶対に話さないだろうとグッドマンに告げました。

そこでグッドマンは、ロサンゼルス北東のテンプルシティにあるドリアンの自宅を直接訪れました。ドリアンは6人の子供を持つ父親で、妻とは別居中で、93歳の母親と暮らしていました。彼は窓からのぞくだけでドアを開けようとせず、しばらくすると地元の保安局から巡査が2人やってきました。ドリアンが「知らない女が1時間もドアを叩き、玄関に座り込んでいる」と通報したためでした。グッドマンが警官に事情を説明すると、ドリアンはジーンズにTシャツ、靴を履かずにジム用ソックスだけという恰好で家から出てきました。そして車道の端に立つグッドマンの元へ来ると、彼は短く質問に答えたそうです。グッドマンによれば、ドリアンはうるさそうに手を振りながら「私はもう関わっていないし、話すこともできない。あとは他の人に任せてある。今は彼らが管理していて、自分には何の関係もない」と一蹴したといいます。ドリアンが家に戻ると、グッドマンは彼の言葉が自身のスクープを裏付けたものだと確信し、その場を後にしました。

コミュニティの反発とAP通信記者の介入

ニューズウィークの記事が公開されると、ビットコイナーたちは激怒しました。疎遠になっている家族にインタビューし、ドリアンの自宅や車の写真が、家の番地やナンバープレートが読み取れる状態で掲載されていたためです。ビットコイン開発を主導していたギャビン・アンドリーセンは、「ニューズウィーク誌がナカモト一家をさらしたことに失望し、以前リアの取材を受けたことを後悔している」とツイートしました。しかし、このような反発は、ある程度想定されていたのかもしれません。

AP通信のライアン・ナカシマは、ドリアンの住所を調べてみると、AP通信の支局から車で数マイルしか離れていないことを知りました。彼は上司に、そこまで行ってインタビューを試みたいと申し出ました。テンプルシティは、パサデナの南東に位置するアジア系住民の多い地域で、「美味しい餃子を探すならあの辺に行く」というような場所だとナカシマは後に語っています。

現場に到着してみると、ナカシマにはドリアンの家が「とても日系米国人的な景観」に見えました。石灯籠が立ち、車道には銀色のトヨタ・カローラがシートで覆われて駐車されていました。とても大富豪の家とは思えない光景です。その朝はうだるような暑さで、近くの芝生の上には十数人の記者が座り込み、疲れ切った様子で退屈そうに雑談していました。ナカシマはこれまでにも似たような張り込みを経験しており、今回も同じように何時間も待って何も起きず、手ぶらでオフィスに戻ることになるだろうと予想していました。

ところが突然、玄関のドアが開き、見た目のさえない、少し身なりの乱れた男性が姿を現しました。記者たちは一斉に駆け寄り、彼を取り囲んで質問を浴びせ始めました。「とにかく今は質問なしだ」とドリアン・ナカモトは言いました。「俺はタダでランチを食いたいんだよ」。ナカシマは集団の後方にいたため、誰か別の記者がこの瞬間をものにするだろうと思っていました。ところが「奇妙な沈黙が流れました。なぜかみんな、黙ってしまったんです」とナカシマは語ります。

「昼食をご馳走しますよ」:ドリアン・ナカモトの否定と真相

ビットコインの創始者がタダ飯を必要とするのか?その時、ライアン・ナカシマが手を挙げて言いました。「じゃあ、僕がランチをおごりますよ」。するとドリアンは「こいつと行く」と答えました。ナカシマは群がる記者たちをかき分けて、「彼は僕と来るんだ」と言い、ドリアンを自身の年季の入った青いプリウスに乗せました。

車中でドリアンは「寿司が食べたい」と言いました。ナカシマは「いいですよ」と答えましたが、「ビットコインの創始者がタダ飯を必要とするものなのか?」と疑問を抱いたといいます。ナカシマはテープレコーダーを回し、質問を始めました。後日、彼がナカシマに送ってくれた録音データには、2時間44分にも及ぶ会話が収められていました。

ドリアンはすぐに、自分はビットコインの発明者ではないと否定しました。「俺は全然関係ないんだ。ランチ代を払いたくなくなったのなら、それでもいいよ」。こうして、ニューズウィークの「スクープ」は、ドリアン・ナカモト本人によってあっさりと否定されることになったのです。

結論

ニューズウィーク誌の報道は、ビットコインの生みの親「サトシ・ナカモト」の正体に関する長年の謎に対し、一つの具体的な人物像を提示しました。しかし、ドリアン・プレンティス・サトシ・ナカモト氏本人による明確な否定と、その後のコミュニティの反発は、この問題の複雑さと、匿名性に対する人々の感情の機微を浮き彫りにしました。この一連の出来事は、デジタル時代の情報社会において、報道のあり方、個人のプライバシー、そしてジャーナリズムの倫理について、改めて深く問いかけるものでした。サトシ・ナカモトの真の正体は、依然として世界最大のミステリーの一つとして語り継がれており、その匿名性がビットコインの思想の中核をなしていると言えるでしょう。

参考資料