玉木氏「首相にならず」報道の真実:政局を動かした維新と高市氏の戦略

国民民主党の玉木雄一郎代表に対し、首相になる覚悟がなかった、あるいは好機を逃したことを指す「玉木る」という揶揄がSNS上で見受けられます。しかし、この見方は事の本質を捉え損ねています。この一連の政局で真に敗北したのは、立憲民主党と日本の主要メディアだったと言えるでしょう。玉木代表は、一貫して安全保障、エネルギー、そして憲法に関する基本政策の一致を条件として掲げていました。これには、集団的自衛権の行使容認、敵基地攻撃能力を含む防衛費増額への賛同、原発再稼働容認、そして憲法第9条への自衛隊明記などが含まれます。

補正予算には防衛費が含まれないものの、本予算には防衛費増額予算が盛り込まれています。もしここで与党内で造反があれば、内閣は維持できません。来年3月までに予算を通す必要があり、10月に首相に就任しても半年と持たない可能性がありました。短命に終わる首相は過去にも存在しますが、玉木氏はそうした首相になることを望んでいなかったのでしょう。彼が提示した三つの条件がクリアされれば、首相になる覚悟は十分にあったと考えられます。また、もしトランプ大統領との対応が難しいという懸念があったとしても、それは誰が首相になっても同様の困難が予想されます。

日本維新の会は、国民民主党以上に安全保障、エネルギー、憲法問題に強いこだわりを持っています。国民民主党が立憲民主党と組んでも過半数には達しないため、維新の参加は不可欠でした。維新は、玉木氏に対する立憲民主党の反応を注意深く見守り、協調が難しいと判断した結果、自民党との連携を模索し始めたのでしょう。

メディアが読み解けなかった政局の深層

維新が自民党と連携する動きが予測できなかったことで玉木氏への批判が向けられることもありますが、これはメディアも完全に予想しきれていなかった点です。したがって、メディアが玉木氏を批判する資格はありません。なぜメディアが維新の動きを読み解けなかったのか。それは、人脈情報ばかりに注力し、各党の「政策」の本質を理解していなかったからではないでしょうか。

維新もまた、安全保障、エネルギー、憲法といった重要政策で立憲民主党とは相容れない立場にあります。維新は表立って立憲民主党に条件を突きつけませんでしたが、立憲民主党が維新の藤田文武代表ではなく玉木代表の名前を挙げていたことから、維新が距離を置くのは当然の成り行きでした。実際、維新は自民党総裁選の最中から小泉進次郎氏の陣営と水面下で協議を進めていたとされており、その際の条件は現在12項目として公表されている内容と大きく変わらなかったと推測されます。テレビなどで活躍する政治評論家は「人脈、人が大事」と強調しがちですが、党の執行部で実力を持つ人物であれば、必ずしも深い人脈がなければ交渉が成り立たないわけではないことを今回の政局は示しました。

かつて、宮沢喜一氏(首相在任1991年11月〜93年8月)が「私が言っても通らないんですが、竹下登(首相在任87年11月〜89年6月)さんが言うと通るんですね」と語ったことがありますが、これはまさにその通りでしょう。しかし、必ずしも特定の人脈に依存しなければならないわけではありません。さらに注目すべきは、今回の維新との連立協議を、高市早苗総裁が自ら主導して実現させた点です(「自民、連立へ迷走の2週間」日経2025年10月21日、芹川洋一「「権力への執念」維新引き寄せた高市」FACTA号外速報10月20日)。筆者はこうした交渉は「重鎮」と呼ばれるベテラン議員の役割だと考えていましたが、高市氏自身がこれを成し遂げたのです。

国民民主党の玉木雄一郎代表。次期首相の座を巡る政局の中心人物の一人として注目を集めた。国民民主党の玉木雄一郎代表。次期首相の座を巡る政局の中心人物の一人として注目を集めた。

この動きは、高市総裁の党内における統率力を大いに高めました。自民党が与党の座を維持するためには維新の協力が不可欠であり、その維新と最も円滑に交渉できるのが総裁自身である、という状況を作り出したからです。かくして、2025年10月21日、高市早苗氏が新たな首相として誕生しました。

参考資料

  • 日本経済新聞 2025年10月21日 「自民、連立へ迷走の2週間」
  • FACTA号外速報 2025年10月20日 芹川洋一 「『権力への執念』維新引き寄せた高市」