2025年10月4日に高市早苗氏が自民党総裁に選出され、続く21日に臨時国会で新総理に指名されるまでの期間に巻き起こった一連の騒動は、その本質において「空虚な熱狂」であったと指摘されます。この騒動は、リベラル派の政治的現実からの逃避と、日本の政治報道における質的低下という深刻な課題を浮き彫りにしました。
批評家・作家である東浩紀氏の肖像。日本の政治・社会問題に鋭い視点で切り込む論客として知られる。
野党の「統一候補」議論に見る現実離れ
当時、自民党と公明党は衆参両院で過半数を割っており、野党が一致団結すれば政権交代の可能性もゼロではありませんでした。立憲民主党は早くも10月8日には、野党統一候補として国民民主党の玉木雄一郎代表の名前を提示。当初は現実離れした提案と見られていましたが、10日に公明党の連立離脱が報じられると、情勢は一変します。総理選出に必要な衆院過半数233に対し、自民党単独の議席数は196。立憲民主党と国民民主党に、日本維新の会または公明党が加われば、自民党の議席を上回る計算となりました。この状況下で、高市氏に批判的なリベラル派を中心に玉木首相待望論が急速に高まり、連日、メディアやSNSでは「数合わせ」の議論が繰り広げられたのです。
しかし、この熱狂は結果的に見て、完全に空回りであったことは今となっては明らかです。立憲民主党と国民民主党は、安全保障やエネルギー政策といった基本的な政策において根本的な意見の相違を抱えていました。さらに、当事者である玉木代表自身も最後まで連立の可能性を否定し続けており、肝心の調整がついていない以上、「統一候補」構想は実現不る絵に描いた餅に過ぎませんでした。これは当初から明白であったはずであり、要するに、リベラル派が高市新総理誕生という厳しい現実から目を背けたかっただけ、と分析されています。
メディアと政治評論の質的低下が露呈
この一連の騒動を通じて、日本のマスコミと政治評論の極度な質的低下が改めて浮き彫りになりました。高市氏に対する警戒感は理解できる点もあります。かねてから保守的な言動が問題視され、総裁選時には排外主義への親近感を隠さず、さらに裏金問題への対応も曖昧に流されていました。しかし、とにかく総理就任を阻止すればよいとばかりに高市氏への批判を集中させ、その一方で、実現可能性の低い政権交代の夢を嬉々として報じてきたメディアの姿勢は、客観性や公平性に欠けると言わざるを得ません。
少なからぬ国民が高市氏を支持しており、参政党をはじめとする保守勢力全体が伸長しているという事実は、リベラル派がいかに認めたくなくても、動かしがたい現実です。今日の政治報道に本当に求められるのは、リベラル派の現実逃避を安易に垂れ流すことではなく、このような厳しい政治的現実に正面から向き合い、深く分析する力なのです。
参考文献
- AERA2025年11月3日号
- Yahoo!ニュース 東浩紀氏の寄稿より (https://news.yahoo.co.jp/articles/31468a738d56c7df78d52b3c04fd154905ac6ded)





