大阪府八尾市に本社を構える化粧品メーカー「マックス」。創業120年を超える老舗企業を率いる5代目社長、大野範子氏の半生は、まさに困難を乗り越える強い意志とリーダーシップの物語です。彼女は36歳で子宮頸がんを発症し、その後も5度にわたる闘病を経験。さらに、会社の経営が傾くという危機にも直面しながら、現在はV字回復間近まで業績を伸ばしています。度重なる試練の中、大野社長はいかにして企業を再建し、自らの道を切り拓いてきたのでしょうか。その挑戦と変革の軌跡を追います。
創業120年、「レモン石鹸」で知られる老舗マックスの歴史と変革
大阪府八尾市の一角に本社を構える株式会社マックスは、1902年創業の歴史ある石鹸・化粧品メーカーです。かつては全国の小中学校で広く愛用された「レモン石鹸」や、多様な石鹸類を組み合わせたギフト商品の製造・販売でその名を知られていました。しかし時代とともに市場は変化し、現在では、全国のドラッグストアを中心に肌に優しいボディソープやヘアケア製品、入浴剤など、現代の消費者のニーズに応える商品を幅広く展開しています。
大阪府八尾市に位置する化粧品メーカー「マックス」の本社外観。老舗企業の歴史を感じさせる建物。
大野範子社長は、幼い頃から会社に対する特別な思いを抱いていました。「2代目社長だった祖父が、私を抱きかかえて工場内を歩き、社員一人ひとりに『おはよう』と声をかける姿を今でも鮮明に覚えています。祖父を心から尊敬していましたし、いつか自分もこの会社で働きたいと強く思っていました」と語ります。しかし、先代社長である父は、マックスが代々男性社長を務めてきた歴史から、娘の入社が将来の事業承継問題を複雑にすることを懸念し、当初は難色を示していました。
父の反対を乗り越え、香料会社からマックスへ。OEM事業への挑戦
父親の反対があったため、大野氏は新卒で香料会社へ就職し、営業職としてキャリアをスタートさせます。その頃、マックスでは主力だったギフト事業が低迷し、新たな経営戦略が求められていました。そこで、培ってきた技術力を活用した他社商品の代理製造、いわゆるOEM事業に活路を見出そうと模索していました。
香料会社での3年間の営業経験を積んだある日、頑なに娘の入社に反対していた父が突然、「マックスに入社してくれないか」と切り出します。大野氏の営業経験が、注力し始めていたOEM事業で役立つだろうという父の思惑があったようです。この時の心境を大野社長は「とにかく、マックスに入社できて本当にうれしかった」と目を細めて振り返ります。1999年にマックスに入社した大野氏は、「この会社を企画・営業・技術の三拍子そろったメーカーへ進化させる」という強い決意を胸に、OEM事業の拡大に尽力しました。
OEM事業の成功と、その後の契約打ち切りが突きつけた課題
2000年からは、大手化粧品メーカーからの受託生産に本格的に注力。その結果、OEM事業は急速に成長し、最盛期には全社売上の4割を占めるまでに拡大しました。大手企業の厳しい要求に応え続けることで、マックスは設備、品質管理、そして技術力の水準を飛躍的に高めることができたのです。これによりOEM事業は、低迷していたマックスを支える大きな柱へと成長しました。
しかし、2007年に長期契約を結んでいた大手企業から、突然の契約打ち切りという厳しい通告を受けます。この出来事は、特定の取引先に依存する事業構造の脆弱性を浮き彫りにしました。大野社長は、「取引先の事情に左右される事業を会社の主軸に据えることの難しさ」を痛感したと語ります。この経験から、「自分たちにしかできない、独自のブランド力を持つ商品を育てていかなくてはならない」という意識が社内全体に広がり、新規事業開発の必要性が一層高まっていきました。
闘病と経営の苦難、そして社長としての新たな覚悟
事業の構造転換という重要な局面を迎える中、大野氏自身も大きな試練に直面します。36歳という若さで子宮頸がんを発症し、その後5度もの厳しい闘病生活を送ることになりました。私的な困難が続く一方で、父の体調も優れず、「2年後に範子が社長になってくれないか」と打診されます。突然の社長就任要請は、まさに青天の霹靂でした。
度重なる病との闘い、そして会社の経営改革という二重のプレッシャーの中で、大野社長は老舗企業の未来を担う覚悟を固めます。自らの経験と学びを活かし、社内からのイノベーションを促しながら、マックスを現在のV字回復へと導いていきました。
結論
化粧品メーカー「マックス」の5代目社長、大野範子氏の道のりは、子宮頸がんとの5度にわたる闘病、そして経営危機という、筆舌に尽くしがたい困難の連続でした。しかし、彼女はそれらの試練を決して諦めることなく、持ち前の粘り強さと卓越したリーダーシップ、そして未来を見据える経営戦略によって、老舗企業マックスを再建へと導きました。
OEM事業での学びを活かし、自社ブランドの強化へと舵を切った大野社長の決断は、市場の変化に対応し、新たな価値を創造する企業の姿勢を示すものです。私的な苦難を乗り越え、公的な責任を果たし続けるその姿は、多くの経営者や働く人々にとって、困難に立ち向かう勇気と希望を与えることでしょう。マックスの今後のさらなる発展と、大野社長の挑戦に引き続き注目が集まります。
出典
President Online





