1915年12月に北海道苫前村で起きた「三毛別ヒグマ事件」。胎児1人を含む7人が命を落とし、3人が重軽傷を負った国内最悪のヒグマによる人身事故である。100年以上経った今も語り継がれる同事件はなぜ起きたのか? 明治、大正、昭和、平成、令和に起きたクマにまつわる事件を網羅した『 日本クマ事件簿 』(三才ブックス)のダイジェスト版をお届けする。
「腹破らんでくれ!」
事件は1915年12月9日に始まった。北海道苫前村三毛別の山深い場所で暮らしていたA家に1頭のヒグマが侵入し、内縁の妻B(34歳)と養子C(6歳)が襲われた。ヒグマはBの遺体を持ち去り、翌日男衆が捜索すると、頭髪をはがされた頭蓋骨と膝下の足だけが残された無惨な姿で発見された。
この日の夜、A家で行われていた通夜の最中、ヒグマが再び侵入。2人の遺体を納めた棺桶がひっくり返され、遺体がバラバラになって床に散乱した。男衆が石油缶を打ち鳴らし空砲を撃つなどしてヒグマを追い払ったが、恐怖はさらに広がっていく。
ヒグマはその後、女性と子どもが避難していたD宅に侵入。室内では身重のL(34歳)が野菜置き場から引きずり出され、「腹破らんでくれ! 腹破らんでくれ!」「のどを食って、のどを食って殺してくれろ!」と悲痛な叫びを上げた。約50分間にわたるヒグマの襲撃で、胎児を含む5人が命を落とし、3人が重傷を負った。
「死体をおとりにする」苦渋の作戦も
北海道庁に通報が届いたのは事件から3日後の12月12日。官民一体となった討伐隊が編成され、死体をおとりにするという苦渋の作戦も試みられた。そして事件から6日後の14日、小平鬼鹿の名猟師・山本兵吉(58歳)がついにヒグマを射殺。3日間で延べ600人、犬10数頭、銃60丁を動員した大がかりな捜索がようやく終結した。
凶暴化したヒグマの異常行動の真相は不明のままだが、この事件は冬眠前の飢えたヒグマの危険性を後世に伝える教訓となった。
◆◆◆
この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
「文春オンライン」編集部/Webオリジナル(外部転載)






