中山美穂さん 没後1年、知られざる繊細な素顔と「ミポリン」誕生秘話

今年、歌手デビュー40周年を迎え、多くの人々を魅了し続けた「ミポリン」こと中山美穂さん。しかし、彼女は昨年12月6日、54歳の若さでこの世を去りました。自宅の浴室で発見されたその日、彼女は大阪でのクリスマスコンサートに向かう予定でした。没後1年を迎えようとする今、彼女をトップアイドルへと育て上げた「ビッグアップル」創業社長の山中則男氏が、その意外な素顔と当時の思い出を明かしました。山中氏は、中山美穂さんを「怒ったり泣いたり、とても繊細な子でした」と振り返り、いまだに叶っていないという墓参りへの複雑な胸中を語っています。

中山美穂さんの写真、彼女の逝去から1年を偲ぶ中山美穂さんの写真、彼女の逝去から1年を偲ぶ

渋谷での運命的な出会い:「毎度おさわがせします」が変えた人生

中山美穂さんと山中氏にとって、渋谷は多くの思い出が詰まった場所です。山中氏は、いまだに渋谷駅を訪れると、ドラマ「毎度おさわがせします」(TBS系)のオーディションの話を思い出すと語ります。当時、まだ注目されていなかった中山美穂さんとの打ち合わせの後、偶然元部下と出会い、彼が中学生役を探しているという情報を得ました。すぐに公衆電話から番組スタッフに連絡を取り、翌日のオーディションへとつながったのです。このオーディションが、美穂さんと山中氏、双方の人生を大きく変える転機となりました。「毎度おさわがせします」は最高視聴率26.2%を記録する大ヒットとなり、シリーズ化もされました。その後も、フジテレビの“月9”ドラマや数々の映画に出演し、歌手としては「世界中の誰よりきっと」が200万枚を超える大ヒットを記録、紅白歌合戦にも7回出場するなど、昭和から平成にかけて一時代を築きました。

トーク番組での苦悩と「ドッキリ」の思い出

華々しい活躍の一方で、中山美穂さんには苦手な仕事もありました。特にトーク番組は彼女にとって大きな壁だったようです。山中氏は1985年にアシスタントとして出演したトークバラエティ番組「パーティー野郎ぜ!」(朝日放送)での出来事を鮮明に記憶しています。収録後、関西風のノリやツッコミについていけず、彼女が涙を流して落ち込んでいたといいます。

また、かつて「スターどっきり(秘)報告」で仕掛けられたドッキリ企画も印象的です。当時17歳だった美穂さんは、偽警官に職務質問を受け、マネージャーの飲酒運転に巻き込まれるという設定に、恐怖から涙を流しました。山中氏も「美穂には難しい企画だと思った」と振り返ります。しかし、時は流れて2019年、彼女はバラエティ番組でこのドッキリ企画を振り返り、「3回くらい引っ掛かって、(収録後に)3回ともマネージャーを殴りましたね(笑)」と懐かしそうに語る姿を見せ、その後の成長とユーモアのセンスを感じさせました。

中山美穂さんの没後1年を迎え、彼女の多くの功績と共に、その繊細な人柄が改めて思い出されます。彼女が残した楽曲や演技は、これからも多くの人々の心の中で生き続けるでしょう。

参考文献