安倍元首相銃撃事件を機に社会で注目されるようになった「宗教二世」問題。今だからこそ語られた当事者によるリアルな言葉を通して、その苦悩と実態が明らかになりつつある。特に、かつてカルト集団として社会に大きな被害をもたらしたオウム真理教の子どもたちが体験した環境は、問題の根深さを示している。
本記事は、毎日新聞取材班が宗教二世問題に関わる人々の苦悩、国や自治体の対応にまで迫った『ルポ 宗教と子ども』(明石書店)の一部を基に、オウム真理教の教団施設にいた子どもたちを児童相談所で一時保護した経験を持つ男性が明かす、“洗脳の根深さ”に迫る。
オウム真理教の始まりと教祖
オウム真理教とはどのような団体だったのか、改めてその歴史を振り返る。教祖の松本元死刑囚は1995年3月、熊本県八代市に生まれた。生まれつき目が不自由で、幼少期に通った盲学校を卒業した後、78年に結婚した。その後は、しんきゅう師や医薬品の販売で生計を立てていたとされる。
82年ごろから仏教やヨガに傾倒し、「麻原彰晃」を名乗って東京都内でヨガ教室を開いた。これが教団の始まりである。84年には教団の前身となる「オウム神仙の会」を設立。「空中浮揚」と称する写真を雑誌や書籍に掲載し、「修行すれば超能力者になれる」などと説いて、次第に信者を集めていった。教団名を「オウム真理教」に改称したのは87年のことである。
拡大する勢力と絶対的帰依
松本元死刑囚は自らを「最終解脱者」だと称し、信者に対しては「尊師」や「グル」と呼ばせて、絶対的な帰依を求めた。この絶対的な服従を強いる体制が、後に悲劇を生む土壌となる。教団は富士山総本部や東京本部のほか、大阪、福岡、名古屋、札幌、ニューヨークに支部を開設するなど、国内外で急速に勢力を拡大していった。
その教えは、インドの仏教、チベット密教、終末論などを独自に解釈し、取り入れたものだった。特に警察庁や公安調査庁が危険視したのは、教義の中でも「ポア」と称して殺人さえも正当化する「秘密金剛乗(タントラ・ヴァジラヤーナ)」と呼ばれる教えである。この教義は、反抗する者や教団にとって都合の悪い人間を排除することを肯定するものであった。
オウム真理教の施設で暮らしていた子どもたちが描いた絵。教団内の生活や世界観がうかがえる。
危険な教義「ポア」:殺人の正当化
「ポア」とは、オウム真理教の教義における独特な概念で、一般的に「魂の救済」を意味すると説明された。しかし、実際には、教団の教えに従わない者や、教団に敵対すると見なされた者を「救済」と称して殺害することを正当化するために用いられた。この恐るべき思想が、後に数々の凶悪事件へと繋がっていく。教団は、現代社会を「悪業が満ちた世界」とみなし、無差別大量殺人を実行することで世界を「ポア」すべきだと宣言するに至った。
武装化と無差別大量殺人の計画
危険な教義の下、教団は急速に武装化を進めた。ボツリヌス菌の培養、サリンなどの化学兵器、さらには核兵器の開発までも幹部らに指示した。これは単なる精神的な集団ではなく、物理的な力による支配と破壊を目指すテロ組織へと変貌していったことを示している。「全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」といった狂気的な計画が、教団内で真剣に議論され、実行に移されようとしていたのである。
オウム真理教による主な凶悪事件
武装化と狂気の教義の帰結として、オウム真理教は立て続けに凶悪事件を引き起こした。教団に批判的な活動をしていた坂本堤弁護士一家を、証拠隠滅のために殺害した事件は、教団の冷酷さを示すものだった。さらに、無差別テロとして松本サリン事件を実行。そして、その犯罪行為の頂点となったのが、95年3月20日に発生した地下鉄サリン事件である。この事件により、多くの無関係な人々が命を落とし、あるいは重傷を負った。これらの事件は、オウム真理教が単なる宗教団体ではなく、社会に極めて有害な組織であったことを全世界に知らしめる結果となった。
結論
オウム真理教の歴史は、一見すると異様な教義を持つカルト集団が、いかにして人々を絶対的に支配し、凶悪な犯罪組織へと変貌しうるかを示す典型例である。特に「ポア」に象徴される殺人を正当化する思想や、急速な武装化の動きは、その危険性を示す決定的な要素だった。こうした環境で育った宗教二世が抱える問題は、単に過去の事件として片付けられるものではなく、現在進行形の人権問題として、その根深さと社会が向き合うべき課題を浮き彫りにしている。
参考資料
『ルポ 宗教と子ども』(明石書店)より抜粋