「定年移住」は本当に賢い選択か? 地方暮らし vs 都市部暮らし、生活費を徹底比較

定年が近づくと、地方への移住を検討する人が増加します。故郷へのUターンや、より安価な家賃、老人ホームの費用を求めて地方へ移り住みたいと考えるケースなど様々です。特に物価高が続く昨今、そのように感じる人はさらに増えているでしょう。しかし、現実には80代になってから、東京や大阪といった大都市圏に再び戻ってくる人も少なくありません。度重なる引越しは、結果として経済的な負担を増大させる可能性もあります。失敗することなく、自分に合った「終の棲家」を選ぶためには、どのような点を考慮すべきなのでしょうか。

定年後の地方移住で想定される自然豊かな暮らしのイメージ定年後の地方移住で想定される自然豊かな暮らしのイメージ

定年後、なぜ地方移住を考える人が増えるのか

家賃や生活費、老人ホームの費用が安い。地元の採れたて野菜は新鮮で大きい。近所の人との温かい繋がりがあり、心豊かな生活が送れる。そういったイメージから、定年後は地方へ引越したいと考える人が多いです。大分県や静岡県の実家に戻る人、田んぼ付きの家を購入して農業体験を楽しむ人など、筆者の周囲でも様々な事例が見られます。

総務省統計局のデータによると、東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)からの転出者が最も多いのは60代前半で、次に50代後半、60代後半と続きます。これは、定年退職を機に生活スタイルや居住地を見直す人が多いことを示しています。

移住後に直面する現実:80代で都市部に戻る理由

しかし、いざ地方に移住してみても、思い描いていた生活と異なる現実に直面することもあります。例えば、「病院が近くにない」「公共交通機関が不便」「地域の人間関係に馴染めない」「生活環境が合わなかった」といった理由から、移住を後悔し、80代になってから再び東京圏など都市部に戻ってくる人も少なくありません。

80代になってからの引越しは、単に金銭的な負担だけでなく、肉体的・精神的にも大きな負担となります。一度の移住で理想の生活が見つからず、再び高齢になってから慣れない土地へ移動することは、避けたい事態と言えるでしょう。そのため、移住を検討する際には、その地方での生活が大都市圏と比べて本当にコストが低いのか、そして自分のライフスタイルや必要なサービス(医療、交通など)が十分に得られるのかを事前にしっかりと調べておく必要があります。地方と都市部、どちらがトータルで見てお得で、より幸せな生活を送れるのか、慎重な比較検討が不可欠です。

地方暮らし vs 都市部暮らし:具体的な生活費を比較

では、実際に地方での生活は都市部と比べて本当に費用が安いのでしょうか。物価を項目別に比較してみましょう。

食費の比較

総務省家計調査(2024年)における2人以上の世帯の1カ月の食費支出総額を見ると、最も安い沖縄地方では月7万2735円、四国地方では月7万3667円です。一方、東京都市部では10万円を超えており、月に2万7000円前後の差が見られます。食費全体で見れば、この差はかなり大きいと言えます。

生鮮野菜に絞って見ると、最も安い四国地方では月5121円に対し、東京都市部では月7587円です。地方ではピーマンやキュウリなどが大きく安価に手に入りお得感がありますが、金額ベースでは月に2000円前後の差にとどまります。

家賃の比較

次に家賃です。相場を見ると、東京都で一人暮らし用の平均家賃は約6万9000円、ファミリータイプは約9万2000円です。これに対し、最も安い鳥取県では一人暮らし用が約3万8000円、ファミリータイプは約5万8000円となっており、ほぼ半額です。

さらに、敷金・礼金も都市部ではそれぞれ1~2カ月分必要な場合が多いですが、地方では1カ月分のみのところもあります。これを考慮すると、家賃だけで月に3万円~4万円程度安くなる計算になり、これは非常に大きな差と言えます。

ガソリン代の比較

では、ガソリン代はどうでしょうか。仮に暫定税率が廃止され1リットルあたり約25円安くなったとしても、イラン・イスラエル情勢やロシアのウクライナ侵攻など国際情勢は不透明であり、価格が安定する保証はありません。

前述の家計調査では、東京都市部の2人以上の世帯の年間ガソリン代は約2万1000円あまりです。しかし、三重県津市では年間約10万5000円と、その差は5倍近くにもなります。全国平均でも年間約7万円ほどであり、東京都市部に比べて5万円以上支出が増えています。これは、都心部では公共交通機関が発達しており、車を使う頻度が低いことを示しています。

地方での生活では、バスや電車の便が悪く、食料品などの買い物へ行くにも車で片道20分程度の移動が必要になるケースが少なくありません。その都度ガソリン代が500円程度かかります。一方、東京近郊に住んでいても、都心にいる知人に会うために電車賃が毎回3000円~4000円かかることもあります。しかし、地方では車の利用が生活に不可欠となる場面が多くなります。筆者の知人の中には、病院への通院のためにかかるガソリン代だけで月に2万円、年間で24万円にもなったという人もいます。

地方暮らしは、確かに家賃や食費など一部の生活費は安くなる傾向がありますが、ガソリン代や車の維持費、あるいは公共交通機関が不便なことによるタクシー利用などで、かえって支出が増える可能性も十分に考慮しておく必要があります。

「終の棲家」選びで失敗しないために

地方移住による生活費の削減は魅力的ですが、ガソリン代やその他の交通費が予想外に高くつく場合があることを理解しておくことが重要です。家賃や食費で節約できた分が、そのまま移動コストに消えてしまう、あるいは上回ってしまうという事態も起こり得ます。

地方暮らしで生活費をコントロールするための鉄則は、家賃や生活費が都市部の3分の2程度に抑えられる場合でも、その差額をガソリン代や交通費に回す覚悟を持つことです。単に「地方は安い」というイメージだけでなく、具体的な移住先の物価、公共交通機関の利便性、医療機関へのアクセス、そして自身のライフスタイルに車がどれだけ必要になるかなど、多角的な視点から情報収集とシミュレーションを行うことが不可欠です。

結論

定年後の地方移住は、必ずしも単純なコスト削減策とは限りません。確かに家賃や一部の生活費は抑えられる可能性がありますが、交通費、特にガソリン代が高額になるなど、都市部とは異なる費用の構造があります。また、医療機関へのアクセスや地域のコミュニティへの適応、自身のライフスタイルとの合致など、費用以外の要素も「終の棲家」を選ぶ上で非常に重要です。

安易な情報やイメージだけで移住を決めると、後になって環境が合わず、再び引越しを余儀なくされる可能性があります。特に高齢になってからの引越しは、経済的にも体力的にも大きな負担となります。移住先を検討する際は、その地の具体的な生活コスト、交通網、医療体制、そして何よりも自分がそこで心豊かに暮らしていけるかを、時間をかけてじっくりとリサーチすることが肝心です。後悔のない「終の棲家」選びのためには、事前の綿密な計画と多角的な視点からの検討が不可欠と言えるでしょう。

参考資料

  • 総務省統計局 家計調査
  • 総務省統計局 住民基本台帳人口移動報告