音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」の元ボーカルでアーティストのコムアイさんは、母方の祖父が広島で原爆に遭った被爆3世だ。高校生の時には、被爆者とともに世界各地を巡る船旅に参加したこともあるが、3世との意識はなかった。がんで母親を亡くしたことで、「自分にも被爆の影響があるかもしれない」と感じ始めた。広島、長崎への原爆投下から今夏で80年を迎えた。「核廃絶は絶対に必要」と訴えるコムアイさんに平和への思いを聞いた。
■祖父は被爆の話を一切しなかった
母方の祖父が、広島の原爆投下後に(2週間以内に爆心地から約2キロの区域内に入る)入市被爆しました。2023年に亡くなるまで、被爆の詳しい話は一切してくれませんでした。手帳(被爆者健康手帳=行政が発行し、医療費の助成を受けられる)も見たことがありません。たまに原爆の話題が家族で出たときも、祖父が病院に行っても手帳を使わないということくらいでした。
祖父にとってはつらい記憶の箱を開けたくなかったのでしょうね。話を聞かせてほしい、そうしっかりと伝えておけば良かったと後悔しています。
祖父の様子を見ていると、被爆証言をされている方はものすごい段階を経て、「ブラックボックス」を開けているのだと思います。自分の人生でトラウマになるようなことを何回も話す経験を私はしたことがありません。想像がつきません。
■初めて聞いた被爆体験「気持ちを無駄にしたくない」
私は中学受験を経て、慶応義塾湘南藤沢中等部に進学しました。吹奏楽部に入り、パーカッションを担当していました。中学3年の時、学校の課題で海外の地雷問題を調べた際、社会や世界について興味を持ちました。その頃から東京都の高田馬場駅前などで地雷除去を支援するNGOの募金活動に取り組みました。
NGOの勉強会では答えがない社会問題をみんなで考えていました。その時間はすごく豊かでしたね。チームで何かに取り組むことの楽しさも知ることができました。
その頃から原子力発電所に興味が湧くようになりました。放射性物質や原発のリスクについて考えるようになり、その過程で被爆者に原爆の話を聞いた方がいいと思うようになりました。