習近平国家主席の夫人、彭麗媛:国民的歌手からファーストレディへ、その知られざる過去と愛の物語

中国の習近平国家主席の夫人、彭麗媛氏は、現在のファーストレディの地位に就く以前、中国全土で愛された国民的歌手でした。英国人ジャーナリスト、マイケル・シェリダン氏の著書『紅い皇帝 習近平』(草思社)は、彼女の隠された過去と、習近平氏との劇的な出会いを詳細に描いています。本稿では、その知られざる彭麗媛氏の人物像と、世界を驚かせた彼女のキャリアパスに迫ります。

国民的歌姫としての輝かしいキャリア

彭麗媛氏は20代前半から中国を代表する歌手として、毎年恒例の「新春を祝う全国放送テレビ番組」に出演し、絶大な人気を博しました。この番組は中国の旧正月に家族で夕食を囲みながら楽しむ伝統的なエンターテイメントであり、彼女の存在は中国国民にとって欠かせないものでした。

彼女のソプラノ歌声は観衆の心を掴み、「希望の野原に立って」や「我ら黄河と泰山」といった素朴な民族歌謡を歌い上げました。これらの曲は巧みに愛国的なバラードと組み合わされ、歌詞の中で人々を「山と海」や「共産党の水源」と称賛。彼女が赤いシルクのロングドレスや時には褒章で飾られたオリーブグリーンの軍服姿で舞台を舞う姿は、常に人々の目を惹きつけました。彼女はまた、人民解放軍文化部の少将という肩書も持っていました。

習近平との運命的な出会い:一目惚れの真実

報道によると、離婚歴のある地方官吏だった習近平氏は、彭麗媛氏に一目惚れしたとされています。彼らの最初の出会いは1986年、友人の仲介によるものでした。当時、習近平氏は33歳、彭麗媛氏は24歳。場所は、習近平氏が副市長を務めていた活気ある港町、厦門(アモイ)だった可能性が高いと言われています。

「出会って最初の40分で、あなたが将来の妻になる人だとわかった」――これは習近平氏が彭麗媛氏に告白したとされる有名なセリフです。彭麗媛氏自身は国営新聞のインタビューで、最初、習近平氏のことを「年より老けていて、つまらない相手」と感じ、軽いおしゃべりも苦手な印象だったと語っています。しかし、彼が彼女の歌唱技術やプロの仕事に深い興味を示したことで、二人の相性は「たちまち」良いものへと変わっていったとされます。このエピソードは、習近平氏が彼女に敬意をもって接したことを強調する、典型的なプロパガンダの一部として語り継がれています。

習近平国家主席と彭麗媛夫人がイタリア大統領夫妻と記念撮影習近平国家主席と彭麗媛夫人がイタリア大統領夫妻と記念撮影

政治的シンボルとしてのファーストレディ

彭麗媛氏と習近平氏のロマンスは、単なる個人的な物語に留まらず、中国のプロパガンダにおいて重要な役割を担ってきました。彼らの愛情深い関係は、共産党指導者の人間味あふれる側面を国民に示すために利用され、国民からの支持を得るための戦略的なツールともなっています。彭麗媛氏は、そのカリスマ性と国民的知名度を活かし、対外的には中国のソフトパワーを象徴する存在として、また国内的には国民の感情に訴えかける「模範的夫人」として、極めて重要な役割を果たしています。彼女の存在は、習近平政権の安定性と国民との一体感をアピールする上で不可欠な要素となっています。

国民的歌手として一世を風靡した彭麗媛氏が、いかにして中国のファーストレディへと変貌したのか。彼女の過去は、習近平国家主席との個人的な結びつきだけでなく、中国の政治と文化が深く絡み合う複雑な物語を物語っています。マイケル・シェリダン氏の著書は、その知られざる側面を垣間見せてくれます。彭麗媛氏の魅力と影響力は、今後も中国内外で引き続き注目されることでしょう。

参考文献