本稿は、「毒母」に人生を破壊された息子たちの過酷な人生を描く連載記事の第二回にあたります。前編では、専業主婦だった母親に幼い頃から内面まで監視され、支配を受けてきた山本龍彦さん(57歳・仮名)の独白を記しました。今回は、高校卒業後に山本さんが辿った「ひきこもり」の道と、その後の父母との関係の変化について、さらに深く掘り下げます。親からの過度な干渉が、いかに個人の主体性を奪い、社会からの孤立へと導くのか、その実態に迫ります。
主体性を奪われた幼少期とコミュニケーションの欠如
山本さんは、母親との間でまともな会話が成立した経験がないと語ります。「雲がきれい、あの鳥は、何?」といった、ごく日常的な言葉のやり取りすら一度もありませんでした。母親からは「ほら、しっかりしなさい」「まっすぐにしなさい」「あー、口が開いてる」などと、一方的に命令されるばかり。山本さんは、母親が父親との間に会話や交流がなく、世間的に「良妻賢母」を演じるプレッシャーの捌け口として自分を利用していたのだと感じています。母親にとって山本さんは、感情をぶつけるための「ゴミ箱」であり、弟にはそのような扱いがなかったと言います。
幼い頃から、山本さんには自分で何かを選ぶ自由も権利も与えられませんでした。ショーウインドーの前でケーキ一つ選ぶことすら許されず、いつも母親に「こっちにしなさい」と指示されるばかり。「これで人間がどう育つ? 育ちようがない」と山本さんは当時の心境を吐露します。このように、母親は山本さんから主体性を徹底して奪い去り、彼の人間形成に深刻な影響を与えました。
「人間」として振る舞えなかった苦悩と社会からの孤立
子どもの頃から、山本さんは「人間としての振る舞い」ができなかったと振り返ります。例えばスポーツは、考える必要がなく、ただの反射だからできたと言います。小学5年生までおねしょや指しゃぶりが続き、自由な発想を持つことができなかった彼は、ただ「元気の良さ」をアピールすることで、周囲に適応している印象を与えようとしました。
しかし、中学では陰湿ないじめに遭います。それでも、「幸せ家族」の元気な長男を演じ続けるため、家族の誰にも打ち明けることができませんでした。いじめの恐怖から朝が来るのが怖く、なるべく遅く寝ようと、受験勉強をしている「体」を装う日々が続きます。父親が会社から持ち帰る裏紙に、ただ単語を書き続ける。それは覚えるためではなく、ボールペンのインクを減らすためでした。空になったボールペンを何本貯めるかが、当時の彼の目標だったのです。両親はそれで安心していたものの、山本さんの心には「恐怖の中学に行きたくない、朝が来るのが怖い」という絶望感が渦巻いていました。
毒母に苦しめられ、社会と断絶するひきこもりの若者を描いたイメージ写真
「ひきこもり」の道と、母親からの終わらぬ重圧
高校には「まぐれ」で合格できたものの、それが山本さんの限界でした。その後、大学には何浪しても入学することはできませんでした。山本さんが心身ともにボロボロの状態であるにもかかわらず、母親は専門学校など、次から次へと「目を釣り上げて」尻を叩き続けます。治療もせずに「飛べ、飛べ」と追い立てられる精神状態は、まるで「片道切符だけの特攻隊」のようだったと、山本さんは当時の苦しさを表現しています。彼の心は限界に達し、社会との繋がりを絶つ「ひきこもり」へと向かっていったのです。母親からの終わりのない重圧は、彼の人生に深い影を落とし続けました。
結論
山本龍彦さんの体験は、「毒母」による支配と過干渉がいかに子どもの主体性を奪い、深い精神的苦痛と「ひきこもり」という形で現れるかを示す痛ましい事例です。幼少期からのコミュニケーションの欠如、自己決定権の剥奪、そしていじめに遭っても助けを求められない環境が、彼を社会からの孤立へと追い込みました。さらに、その苦境を理解しようとせず、ひたすら次の目標を強いる母親の態度は、彼の心を深く傷つけ続けました。
この山本さんの告白は、機能不全家族における親子の問題が、当事者の人生にどれほど深刻な影響を与えるかを浮き彫りにしています。彼の物語は、現代社会における「ひきこもり」やアダルトチルドレンといった問題の根源を探る上で、重要な示唆を与えてくれるでしょう。このような複雑な家族関係の問題に対し、社会全体での理解と支援の必要性が改めて問われます。
参考文献:
毒母に人生を破壊された息子「母は僕のゴミ箱だった」高校入学後に「ひきこもり」を辿った山本龍彦さん(57)
ノンフィクション・ライター 黒川祥子 著