ガザで命を落としたパレスチナ人カメラマン、モハメド・サラマ氏の遺志

ガザ地区でのイスラエル軍による攻撃でジャーナリストが命を落としたという速報は、ANNカイロ支局に衝撃を与えました。私たちはつい先日まで連絡を取り合っていたパレスチナ人カメラマン、モハメド・サラマ氏の名前が犠牲者リストにあり、言葉を失いました。電話を鳴らしても応答はなく、その後、ガザ当局から彼の死亡が正式に発表されたのです。彼は病院での撮影をライフワークとし、特に立場の弱い子どもたちの被害を記録し続けてきました。サラマ氏が見つめ、発信を続けてきたガザ地区とはどんな場所だったのか、同僚たちの証言から彼の思いをたどります。

「いつでも準備はできている」最期のメッセージと報じられた悲報

エジプトを拠点に中東・アフリカのニュースを取材するANNカイロ支局が、モハメド・サラマ氏と連絡を取り始めたのは、この悲劇の数日前のことでした。イスラエルがガザ地区での外国メディアの取材を厳しく制限している状況下で、私たちが現地の状況を伝えるには、現地のパレスチナ人ジャーナリストとの連携が不可欠です。私たちは、深刻な飢餓の現状を取材するため、支援物資の配給所で行方不明になった息子を探す家族の取材を彼に依頼していました。

ガザで殉職したパレスチナ人カメラマン、モハメド・サラマ氏ガザで殉職したパレスチナ人カメラマン、モハメド・サラマ氏

カイロ支局のスタッフは当時を振り返り、「『ガザの現状を伝えるためなら』と、快く撮影に協力すると言ってくれました」と語ります。私たちは8月25日の正午に、より詳しい取材の打ち合わせを行う約束を交わしました。しかし、「準備が出来ているよ」というメッセージが、彼からの最後の言葉となってしまいました。

25日の午前11時ごろ、支局のテレビに速報が流れ始めました。「ガザ南部の病院にイスラエル軍の攻撃があり、犠牲者が出ている」――。続く報道で、犠牲者の中に数人のジャーナリストが含まれていることが伝えられた時、スタッフは凍り付くような思いで叫びました。「うそだ…彼の名前がある。私が連絡を取り合っていたサラマ氏です」。すぐに彼に電話をかけましたが、応答はありませんでした。結局、この攻撃で少なくとも22人が死亡し、そのうち5人がジャーナリストで、モハメド・サラマ氏もその中に含まれていたのです。

イスラエルの主張とジャーナリスト団体からの非難

この攻撃に対し、イスラエル側はイスラム組織ハマスの拠点を攻撃したものであり、「意図的に民間人を標的にしたわけではない」と主張しました。しかし、国際的なジャーナリスト団体などからは、民間施設である病院への攻撃や、戦地で活動するジャーナリストの安全軽視に対する非難の声が上がっています。

私たちはサラマ氏と共に取材を行うことは叶いませんでしたが、彼のカメラレンズの向こうには何が映し出され、彼はどのような思いを持って取材にあたっていたのか。その答えを見つけるため、私たちは彼の同僚を探し、話を聞き始めました。彼の命がけの報道活動は、ガザの真実を世界に伝えようとする強い意志の表れだったと言えるでしょう。

参考文献