2024年10月19日、参政党の神谷宗幣代表(48)が宮城県仙台市で行われた街頭演説で、国立大学の卒業生が外資系企業を就職先に選ぶ傾向にあることに対し、異論を唱える発言を行い、大きな波紋を呼んでいます。この発言に対し、立憲民主党の米山隆一氏(58)が自身のX(旧Twitter)で強く反論し、日本の教育や人材流出に関する議論が深まっています。神谷氏の発言の背景と、それに伴う政治家間の激しい意見の対立に焦点を当てます。
神谷宗幣代表、「国立大生の税金投資と外資系就職」に疑問呈す
参政党の神谷宗幣代表が宮城・仙台市での街頭演説で国立大学生の就職問題について熱弁を振るう様子
神谷宗幣代表は仙台での街頭演説で、国立大学の学生が外資系企業に就職する現状に対し、「(職業選択の)自由はありますから、こんなことを言うとまた怒られますけど」と前置きしつつ、疑問を呈しました。その主張は、「なぜ国民の税金をたくさん投資してもらった国立大学の優秀な学生たちが、お金のために外資系に行くのか。なんのために我々は投資したのか」というものでした。
神谷氏は続けて、優秀な人材が外資系企業で活躍することが、結果的に外資の成長を助長し、日本企業の売り上げ減少につながると指摘。これは国民の所得減や少子化にも影響するとし、「なぜ税金を使ってその流れを助長するのか」と強く訴えました。さらに、「目先のことだけなんですよ。そりゃあ個人の自由はありますよ? けれども政治の目的ってなんですか? 国民の暮らしを良くすること、国力を強めることでしょ? それを設計してその枠の中で国民に選択肢を与えること(が必要)じゃないですか?」と、教育に対する国の役割と政治の目的に言及し、聴衆に問いかけました。この発言は、個人の自由な職業選択と国家としての利益、そして税金の使途に対する参政党の姿勢を明確にするものとなりました。
米山隆一氏、神谷発言を「偏狭なナショナリズム」と一刀両断
神谷氏の力強い持論に対し、立憲民主党の米山隆一氏が即座に反応しました。米山氏は、神谷氏の演説内容を報じた共同通信の記事を自身のX(旧Twitter)で引用し、以下のように痛烈な苦言を呈しました。
「国立大学生の就職先にまで口を出す参政党。国立大学の学生が、JTC(伝統的な日本企業)にだけ就職すれば彼らは満足なのかもしれませんが、日本の発展は阻害されるでしょう。この様な偏狭なナショナリズムに与してはいけません」
米山氏は、国立大学の卒業生が外資系企業を含む多様な選択肢を持つことが、むしろ日本の経済や社会の発展に不可欠であるとの見解を示し、特定の企業や業界への就職を推奨するような発言を「偏狭なナショナリズム」として強く批判しました。
「教育は個人の可能性のため」米山氏、他意見にも反論
米山氏の批判は、神谷氏の発言を擁護する他の公人の意見に対しても向けられました。東京・台東区議会議員の木村佐知子氏(39)がXで、「なんか炎上してるけど、国立大学出身者としてこれはそんなに変な議論ではない。地方国立大の医学部で地域枠を設けるとかと同じ種類の議論だと思う」と投稿したところ、米山氏はこれを引用し、「この感覚は私は全く分かりません」と一刀両断しました。
さらに、木村氏が東大生の外資系企業への就職増と官僚離れ、その「後ろめたさ」に言及したことに対し、米山氏は「その理屈だと東大を出てアメリカで研究者になったら後ろめたい事になりますが、世界に貢献すれば十分でしょう」と反論。そして、「教育は個人の可能性を実現する為にするもので国家への見返りを求めて行うものではありません。日本は若者の可能性を塞ぐ様な国家になってはいけません」と述べ、教育の本質と個人の自由な選択の重要性を強調しました。
自由民主党東京8区支部長の門ひろこ氏(45)の「神谷参政党代表の問題意識は『税金が大量に投入されてる国立大学の卒業生が、公益に資するような就職先を選んでない』とすれば、間違ってはないです」という意見に対しても、米山氏は同様に反論しました。「この手の『民間(外資)企業で稼いでいる人は社会に貢献していない』という主張に驚きを禁じ得ません」と批判し、ソニー創業者の盛田昭夫氏やマッキンゼーの大前研一氏といった、民間企業で活躍し社会に貢献した人物の例を挙げ、「どの会社で活躍しようがそれは立派な社会貢献、国が貢献の順位を指定する様な事ではありません」と締めくくりました。
国立大学生の進路と教育の役割:深まる国家観・教育観の対立
参政党の神谷宗幣代表と立憲民主党の米山隆一氏による一連の論争は、国立大学生の進路選択、税金が投入される国立大学の役割、そして教育が個人と国家の双方にとってどのような意味を持つべきかという、日本の根幹に関わる重要な問いを投げかけています。神谷氏が「国力の強化」と「税金の見返り」を重視する国家主義的な教育観を提示したのに対し、米山氏は「個人の可能性の実現」と「自由な社会貢献」を尊重するリベラルな教育観で対峙しました。この対立は、今後の日本の教育政策や若者のキャリア形成に対する議論に、深い影響を与えるものと見られます。両者の主張は、単なる政治的見解の相違に留まらず、日本の未来像を巡る根本的な思想の違いを浮き彫りにしています。