■「和菓子屋の看板」が残る異質なラーメン店
千葉県流山。東武アーバンパークライン・初石駅の西口から徒歩4分ほどの閑静な住宅街に、ひっそりと佇む人気ラーメン店がある。「The Noodles & Saloon Kiriya」だ。
ラーメン屋なのに、店の日よけのテントには色褪せた文字で「和菓子 おおつき」と書かれている。前に営業していた和菓子屋の古びたテントをそのままにしているらしい。だが、この看板を外し損ねた痕跡こそが、店主・青木成憲さんが人生をかけてつかみ取った「再生」の象徴だった。
青木さんは流山の生まれ。農家の家系だったが、父が自動車整備業を始めたことから、自然と青木さんも車の世界に進んだ。
「小さい頃から“車の人間になる”って、決まっていたようなもんでしたね。選択肢なんてなかったです。バンドをやりたいって思っていた時期もあったけど、現実的には無理だろうなって」(成憲さん)
整備専門学校を卒業後、トヨタ系の整備工場に就職。腕を磨き、最終的には工場長まで勤め上げた。だが、27歳で家業の自動車工場を継いだ時には、すでに経営は傾いていた。
「入ったときから、もう傾いていたんです。技術とかじゃなくて、業界全体の構造的な問題もあって。自分は営業的な世界に向いておらず、なかなか難しかったですね」(成憲さん)
■借金1000万円、銀行からも「もう貸せない」と断られた
時代はハイブリッド車への転換期。板金塗装の技術も今までのままでは追いつけない。不況も重なり、資金繰りは限界を迎えた。
「最後は銀行から『これ以上は貸せません』って言われたんです。借金は1000万円。もう、どうにもならなかったですね」(成憲さん)
子どもは3人。明日の支払いに追われる日々の中、青木さんが唯一夢中になれたのが「自作ラーメン」だった。
「仕事の合間にラーメンを作るのが、数少ない楽しみのひとつでしたね。スープを炊いたり、麺を打ったりしてると、少しだけ現実を忘れられましたね」(成憲さん)






