戦時中、「鬼畜米英」と叫び、米国を憎むよう教育されていた日本人が、敗戦からわずか数カ月でGHQ総司令官マッカーサーを「解放者」として迎え入れた。このあまりにも急激な「心の転換」は、一体なぜ起きたのだろうか。脳科学者の茂木健一郎氏と独立研究者の山口周氏は、この現象を明治維新にまで遡る日本人の特異な精神構造から読み解く。彼らの分析によれば、夏目漱石の代表作『坊っちゃん』には、明治という時代の転換期における「勝ち組」と「負け組」の構図が色濃く反映されており、それが現代にも通じる日本人の心理を解き明かす鍵となる。
戦後日本の急激な変化:GHQマッカーサーの受け入れ
日本が太平洋戦争で敗北した後、国民の意識は驚くべき速さで変貌を遂げた。かつては敵国として憎悪の対象だった米国に対し、GHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーは、まるで救世主のように受け入れられたのである。この歴史的な大転換は、単なる政治的都合や状況の変化だけでは説明しきれない、日本人の深層心理に根ざした構造を示唆している。山口氏と茂木氏は、この「心の転換」の背景には、明治維新以降の日本社会に一貫して流れるある種の思考様式が存在すると指摘する。
山口周氏と茂木健一郎氏が日本人の精神構造を語る
夏目漱石『坊っちゃん』に隠された明治維新の構図
夏目漱石の不朽の名作『坊っちゃん』を深掘りすると、明治維新が日本社会にもたらした複雑な影響と、人々の感情の機微が見えてくる。茂木氏が水風呂で『坊っちゃん』を再読した際に、山嵐が会津藩出身であるという事実に改めて着目したように、この作品の登場人物たちは、明治維新の「勝ち組」と「負け組」という明確な対立軸で描かれている。
明治維新の「勝ち組」と「負け組」
『坊っちゃん』の主人公である坊っちゃん自身は、元旗本という旧幕府方の家柄で、没落によって働くことを余儀なくされた境遇にある。彼に献身的に仕える下女の清もまた、幕府に仕えていた名家の出身であり、明治維新によって家が没落したという設定だ。さらに、赴任先で坊っちゃんの仲間となる山嵐は、徳川家を最後まで守り抜き、悲惨な結末を迎えた会津藩の出身である。このように、坊っちゃんサイドの人物は、明治維新の混乱の中で「割を食った側」として描かれている。一方、坊っちゃんと敵対する「赤シャツ」などの人物は、明治政府を築いた「勝ち組」側で固められており、対照的な構図をなしている。
「維新」か「瓦解」か:漱石の視点
茂木氏は、これらの裏設定を考えると、『坊っちゃん』という作品全体が、血なまぐさい明治維新の暗い側面を背負っていると指摘する。「明治維新」という言葉は、勝利した薩長側から見れば「維新」というポジティブな再建を意味するが、敗北した江戸・徳川幕府側から見れば、それは「瓦解」というネガティブな崩壊として理解される。江戸の牛込生まれである夏目漱石は、明治という転換期を「維新」ではなく、明らかに「瓦解」と捉えていた。坊っちゃんの悪態や反骨精神は、まさに旧幕府側から見たルサンチマン(怨恨)の表れであり、失われた過去への郷愁と新時代への違和感が入り混じった感情を表現しているのだ。さらに、漱石の分身とも言える「赤シャツ」は、帝国大学を卒業した文学士という設定であり、これは漱石自身を投影した存在。漱石は、自らを笑い飛ばすかのように作品に登場させることで、当時の知識人層が抱えていた内なる葛藤や自己矛盾をも浮き彫りにしているのである。
結論:時代を超えて繰り返される日本人の精神構造
戦後日本の急激な「心の転換」も、『坊っちゃん』に描かれた明治維新の「瓦解」と「ルサンチマン」の構図も、日本人が歴史的転換期に直面した際に示す特異な精神構造を示唆している。過去の価値観や体制が崩壊し、新たな権威や思想が台頭する際、日本人は一見矛盾するような急激な適応能力と、その裏に潜む複雑な感情を併せ持つ。この特性を理解することは、日本という国の過去と現在、そして未来を考える上で不可欠な視点となるだろう。
参考文献
- 茂木健一郎・山口周『教養としての日本改造論』プレジデント社





