首都圏中学受験の過熱:AI時代と公立学校の質の変化がもたらす影響

なぜ今、首都圏で中学受験がこれほどまでに過熱しているのか。文筆家の御田寺圭氏は、社会における人手不足とホワイトカラー化の進展が、教育という“インフラ”に影響を与えていると指摘する。これまでの「当たり前」が、もはや当たり前ではなくなる時代が到来しつつあるというのだ。この記事では、AIの進化による「学歴の価値」の変容と、公立学校の現状が中学受験熱に与える影響について深く掘り下げていく。

AI進化が「高学歴の価値」をどう変えるか

AIの加速的な進化は、人間の「頭の良さ」の価値を急速に低下させ、これまでの学力序列構造がその価値を維持できなくなる可能性を秘めている。事務系労働者の飽和と、現場系・製造系労働者の枯渇という労働市場の需給バランスの変化も、このシナリオに現実味を与えている。例えば、大卒者が一般事務職の職に就けずあぶれる一方で、ブルーカラーの労働需要が高まり、高卒はおろか中卒にまでそのニーズが拡大している状況は、その典型的な例と言えるだろう。

このような激動の時代において、幼い子どもに教育投資を手厚く行い、「お受験」対策のために塾などに高額な費用を投じて「高学歴」の称号を獲得させることの費用対効果は、とりわけ十数年後に社会に出る子どもたちにとって、必ずしも高くなるとは限らない。むしろその頃には、学歴というシグナリングが陳腐化し、「意味のない代物」に時間と労力を費やしてしまったという、笑えない結末が待っているかもしれないと御田寺氏は以前、自身の寄稿で述べている。

それでも親が中学受験を選ぶ理由:公立学校の現状と「経験」の重視

しかし、御田寺氏の読者の中には、そのような時代の流れに逆行するわけではないが、この時代だからこそあえて子どもに中学受験をさせたいと考える人々が少なくない。彼らからは、以下のような意見が寄せられているという。

「たとえAIが人間の知性を超え、知的労働を代替していくとしても、自分は子どもを中学受験させて、難関大学に合格させたい」「そう考えるのは、自分たちの暮らす地域の公立学校の質が低すぎると感じるからだ」「今は教員も人手不足の時代で、教員の負担をなるべく軽くするため、学校でのトラブルはあまり表沙汰にならなくなってきていると感じる」「AIが学歴の価値を失わせるとしても、子どもたちがどういう環境の学校で過ごして成長したのか、そういう『経験』の差は大きくなるように思うから、自分は教育投資をやめない」。

これらの意見には確かに一理あると言わざるを得ない。

変わりゆく教育インフラ:未来への考察

地域差はあるものの、全体的な傾向として、近頃の公立学校の教員の質は、お世辞にも高いとは言えない状況にある。国立大学の出身者が、教員免許を取得できるカリキュラムであっても教員を目指すことが少なくなった結果、その空席を私立大学、特に地元の小規模文系大学が埋めるという構図が多くの地域で生まれつつある。そして、そのような大学の中には、いわゆる「Fランク大学」と呼ばれる低偏差値の大学が含まれているのが現状だ。

中学受験に向けて学習する子どものイメージ写真中学受験に向けて学習する子どものイメージ写真

AIの進化による学歴の価値の変化という大きな潮流がある一方で、目の前の公立学校の質の低下という現実的な問題も中学受験の過熱を後押ししている。親たちは、単に高学歴を求めるだけでなく、子どもが質の高い教育環境で得られる「経験」を重視し、将来の不確実な時代を生き抜く力を育んでほしいと願っている。教育という社会の重要なインフラが変革期にある中、私たちは子どもたちの未来のために、どのような教育の選択が最適なのかを深く考える必要があるだろう。