日本で罪を犯し、海外へと逃亡する犯罪者にとって、フィリピンは長らく「楽園」とされてきました。最近の強制送還や摘発の動きは、この「楽園」の実態を浮き彫りにしています。’95年に東京・大田区で発生した強盗事件で国際手配されていた相原久仁雄容疑者(62)が、30年もの逃亡生活を経て10月16日、フィリピンから日本へ強制送還されたことは、その象徴的な出来事と言えるでしょう。彼は成田空港からフィリピンへ渡り、マニラを拠点に長期間にわたる逃亡生活を送っていました。警察の調べに対し、相原容疑者は「結婚予定の彼女との間にできた子供がフィリピンにいたので行った」と供述していると報じられています。
フィリピンで30年の逃亡生活の末に拘束され、日本へ強制送還された相原容疑者。犯行時は30代前半だった
30年逃亡の相原容疑者、SNS投稿に見る悠々自適な生活の一方で…
相原容疑者のケースが特に注目を集めるのは、彼が自身が開設したとされるFacebookアカウントを通じて、2020年から5年間にわたり堂々と私生活を投稿し続けていた事実があるからです。その投稿の多くは、マニラに本社を置く創業50年の食品会社の自転車部に所属し、競技大会に出場した際の様子で、仲間と共に写る姿も確認されています。彼は指圧などの仕事で生活費を稼ぎながら、趣味に没頭する悠々自適な暮らしを送っていたようです。
一方で、「ルフィ」などの名で特殊詐欺を繰り返していた犯罪組織に属していた31歳の元「かけ子」の男性は、その豪奢な生活ぶりを明かしています。彼は「いくつも案件を取っていたから、1週間で最高3700万円ほどのカネを得ていた」と語り、フィリピン人の知人に依頼して約2000万円でマンションを購入したり、フィリピンパブで1回約130万円を使うなど、金に困らない生活を送っていたといいます。しかし、今では「馬鹿なことをしたと後悔し、反省している」と述べています。
なぜフィリピンが日本人犯罪者の「温床」となるのか
日本人犯罪者がフィリピンに集まる背景には、いくつかの要因が挙げられます。まず、フィリピンは日本から飛行機で約4時間と地理的に近く、英語が通じるだけでなく、親日国であるため日本語を話せる人も少なくありません。さらに、ビザを更新せずに滞在を続けても、積極的に拘束されるわけではなく、不法滞在として罰金が科されるだけという現状があります。
最も大きな要因の一つは、フィリピン当局の腐敗体質にあると、在フィリピン日本国大使館の元職員は指摘します。かつて地方に潜伏していた日本人逃亡犯が、毎月1000ペソ(約2600円)の「上納金」を入管側に支払うことで、拘束を見逃してもらっていたケースがあったといいます。この逃亡犯は2回続けて「滞納」した直後に逮捕されたとのことです。また、入管の捜査員から「10万ペソ(約26万円)で拘束を見逃してやる」と持ちかけられた逃亡犯もいたとされ、こうした規制の「緩さ」が日本人犯罪者をフィリピンに引き寄せる大きな要因となっています。
さらに、フィリピンへの入国や滞在を支援する「斡旋業者」の存在も指摘されています。昨年1月には、カンボジアを拠点とする特殊詐欺グループの日本人4人がフィリピンへ一斉逃亡する際、日本人とフィリピン人のハーフの30代の男が居住場所を紹介するなど手引きした事例もあります。女性のコネを頼る逃亡犯が多い一方で、こうした裏の「斡旋業者」も暗躍しているようです。
逃亡生活の現実:困窮と身を隠す日々
しかし、フィリピンへ入国できたとしても、逃亡犯の生活は決して楽なものばかりではありません。日本から国際手配されているため、ビザの更新ができず不法滞在となり、正規の仕事に就くことは不可能です。生きていくためには何らかの収入源が必要となります。元大使館職員によると、「人にもよりますが、一言で言うと金次第でしょう。日本にいる組織の仲間が現金を持ってきてくれたり、フィリピンで犯罪収益があればかなり良い生活ができる。それらがなければ困窮し、内妻やその家族、地域の人の施しで暮らすような生活が多いと思います」。
中には、悠々自適とは程遠く、身を隠すように生きている者も少なくありません。フィリピンパブの用心棒のような仕事を続け、カツラをかぶっていた逃亡犯の事例も報告されています。良くも悪くも、フィリピンという国は、日本人犯罪者にとって長年にわたり、その「受け皿」であり続けているのが現状です。
(本記事は『FRIDAY』2025年11月14・21日合併号およびFRIDAYデジタルより引用・構成されています。)





