奈良地裁で開かれている安倍晋三元首相銃撃事件の公判。11月20日の第10回公判から山上徹也被告(45)の被告人質問がスタートした。事件後、彼が公の場で口を開くのはもちろん初めてのことである。
【写真を見る】被告が本心を綴った手紙と、ネグレクトされて育った若き日の姿。宗教にのめり込んだ母の現在も
「週刊新潮」では事件直後の2022年7月、彼のTwitter(現・X)や手紙、また、山上被告の親族などに取材し、彼の“心の底”を分析している。彼が抱えた“闇”とは果たして何だったのか。被告のTwitterや手紙の中身などについて記した【前編】に続き、【後編】では、高校進学以降の山上被告の人生について詳述する。合わせて、今公判でも法廷に立った母や妹の、事件直後の肉声などを紹介する。
【前後編の後編】
(「週刊新潮」2022年7月28日号記事を一部編集の上、再録しました。文中の年齢、役職等は当時のものです)
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大学は金銭面の問題で断念
山上容疑者は地元の小学校と中学校を卒業後、奈良県下の名門・郡山高校に進学する。
母親の信仰は彼の人生に暗い影を落としていたものの、その時点までは、前途は決して悲観すべきものではなかっただろう。だが、98年に建設会社を営んでいた母方の祖父が死去すると、状況は一変。母親が会社の土地を相続したが、
「それを処分して、2千万円を作り、即座に献金してしまいました」(山上被告の伯父)
結局、母親が教会に献金したのは、保険金と自宅を含め複数の不動産の売却代金などを合計し、1億円は下らないという。結果、
「大学は入学金や学費の問題があって、断念せなあかんかった。それで、公務員として働こうと、進路を変えたんです。消防士になりたいという話が徹也からあり、そのための予備校にも通わせました」(同)
だが、努力のかいなく、
「消防士の試験、筆記は通ったんやけど、実技で落ちて。かなりの近眼だったからでしょう。結局、私の親族が徹也に海自の働き口を見つけてきました」
任期制自衛官として、02年8月、海上自衛隊の佐世保教育隊に入隊。ようやく人生が上向きになるかと思われたのも束の間、今度は母親がその年の12月に自己破産に追い込まれる。






