現役の外科医であり、ベストセラー「泣くな研修医」シリーズで知られる中山祐次郎氏が、待望の新刊『最後の外科医 楽園からの救命依頼』(文春文庫)を発表しました。本作は、常人離れした神業を持つ天才外科医カイが、命の極限に挑む姿を描く物語です。中山氏自身の「超人的な医者」像に対する釈然としない思いから生まれたというこの作品は、単なる医療エンターテインメントに留まらず、患者と医者が直面する苦悩や責任、そして現代医療が抱える根深い問題に鋭く切り込んでいます。読者は、手に汗握る手術の描写とともに、医療の本質と人間の生の意味を深く問い直すことになります。
「楽園からの救命依頼」:極限状態での神業
物語は、離島で発生した飛行機墜落事故という壮絶な幕開けを迎えます。病院には生死の境をさまよう患者が溢れかえり、その一人である大樹の右脇腹には、長いパイプのようなものが突き刺さっています。天才外科医カイは、その傷を「杙創(よくそう)」と瞬時に診断し、緊急開腹手術を敢行します。肝臓を貫き、十二指腸を損傷、さらに下大静脈にまで達する異物の先端を前に、カイは「脊椎までは到達していない」と安堵の声を漏らしつつ、瞬く間に縫合と結紮(けっさつ)を施していくのです。彼の常人離れした「神業」は、まさに命を救う最後の希望として描かれています。
飛行機墜落事故で負傷した患者が手術台に横たわる緊迫した様子
天才外科医カイの誕生秘話と現代医療への問い
主人公カイは、わずか29歳にして心臓から脳、消化器、呼吸器、整形外科に至るまで、あらゆる手術を完璧にこなす驚異的な技術を持つ外科医です。彼の類稀なる才能は、10歳から中東の戦場で外傷手術を執刀してきたという壮絶な経験によって培われたものです。中山氏は、本作で「超人的な医者」を描きつつも、その背景には現代医療体制への疑問があると語ります。細分化が進んだ現代の医療では、複数の科にわたる高度な知識と技術を持つ医師は育ちにくいのが現状です。中山氏自身も専門外の臓器手術や離島での診療経験から、カイの存在を「細分化しすぎた医療に対するアンチテーゼ」と位置づけています。
命の価値と「法外な報酬」の真意
医師免許を持たないカイに、患者たちは最後の望みを託します。その際、カイの幼馴染で交渉役の神園(かみぞの)が提示するのは、億単位にも及ぶ「法外な報酬」です。この報酬は単なる金銭ではなく、患者が「生きる意味を考え、それでも生きたいと覚悟するために必要なもの」だと中山氏は説明します。医者が患者を一方的に助けるだけの物語ではなく、患者自身が命と向き合う決意を促すための装置として機能しています。物語には、娘の難病が縁でカイと知り合う看護師の華(はな)や、天才ハッカーのルシファーといった個性豊かな面々も集い、絶対困難な手術に挑むチームが形成されていきます。
「仮面の人生」:美容整形が問う人間の本質
作品の中で特に印象的なのは、「カルテ#4 仮面の人生」で描かれる美容整形を巡るエピソードです。美貌の女優が、整形手術で作られた顔を捨て、自由になりたいと願う一方、有名になりたい女性がその身代わりを望むという対比的な展開が繰り広げられます。医者は命を救うために存在するのではないかというカイの葛藤を通して、中山氏は「望む姿になりたいと願うのは根源的な欲望であり、人を少しでも幸せにするのが医療の根本原理」としつつも、過剰に喧伝される美容整形への疑問を投げかけます。どんなに見た目を変えても、心は入れ替えられないという真理を突きつけ、著者は「作品を書く原動力は怒りかもしれない」と語るほど、現代社会の価値観に深く切り込んでいます。
中山祐次郎氏が描く『最後の外科医』は、単なる医療ミステリーやヒューマンドラマの枠を超え、現代医療の倫理、生命の尊厳、そして人間の根源的な欲望を深く考察させる一作です。手に汗握るエンターテインメント性の中に、医療に真摯に向き合う現役医師ならではの透徹した眼差しが息づいています。もし天才外科医カイに会いたいなら、銀座の宝飾店の奥の一室を訪れ、合言葉を忘れてはなりません。中山氏はいたずらっぽく笑いながら、こんな取引がどこかで行われているかもしれない、と物語の余韻を残しています。
参考文献
- 「週刊文春」編集部. (2025年11月27日). 週刊文春 2025年11月27日号.





