NHKのテレビ番組での共演をきっかけに、親友同士になった渥美清さんと黒柳徹子さん。そして渥美さんは映画界にも進出。1968年には役者人生の代名詞となる『男はつらいよ』のドラマ版が放送、翌年に映画第1作が公開された。その監督を務めたのが山田洋次監督だ。当初は渥美さんのアドリブが多く、山田監督は「その芝居はいらない。やめてください」としょっちゅう言わなくてはいけなかったという。
※本稿は山田洋次・黒柳徹子『渥美清に逢いたい』(マガジンハウス、2024年9月5日発行)の一部を抜粋・編集したものです。
【写真あり】『男はつらいよ』第1作目(1969年)の“寅さん”はこんな感じだった
● 渥美清の機関銃のアドリブに 「気を張りっぱなし」
黒柳 そもそもどんなきっかけで、“寅さん”という人をお考えになったんですか?
山田 僕はまず『男はつらいよ』の前に、ハナ肇主演の喜劇を何本か作っていたんです。
黒柳 そうですよね。
山田 あの頃はよく“特別出演”という形で、いろいろな俳優が映画に出ていたんですよ。「こんなにいっぱい面白い俳優が出ていますよ」という作り方をしたものでした。それである時、人気のコメディアンの渥美清を出せと会社から言われた。
黒柳 そうだったの。
山田 しかしスケジュールは1日しか取れないから、ワンシーンだけ。そういうわけで『馬鹿まるだし』という映画に1日だけ、渥美さんが来たんです。
黒柳 どんな印象でした?
山田 「なんだかうるさい俳優が来たな」と思いましたね(笑)。当時の彼はね、間を置かないでモーレツな芝居をするんです。アドリブを機関銃のようにまくしたてて「どうだ、どうだ」というような。ハナ肇も、同じクレイジーキャッツの犬塚弘も渥美さんの圧倒的な珍演技に面食らって、オロオロしてしまう。僕としても気を張りっぱなしでした。
黒柳 座長芝居だったのね。
山田 ええ。なんだかものすごい芝居なんです。ようやく撮り終えて、お疲れ様でしたと挨拶した時に、渥美さんが言ったんです。「山田さん、今度は長いので付き合いましょうね!」と。
黒柳 「長いの」?






