戸田奈津子、89歳で語る「変態」の仕事術:伝説の字幕翻訳家が築いた半世紀のキャリア

「字幕 戸田奈津子」。日本で公開される洋画のエンドロールに、この名前を見ないことはほとんどありません。映画字幕翻訳の第一人者として、実に2000本近い作品を手がけてきた戸田奈津子氏。1936年生まれ、89歳を迎える今もなお、約半世紀にわたり映画字幕にひたむきに携わってきたその仕事人生は、多くの人々に感動と示唆を与えています。本稿では、戸田氏の類まれなキャリアを形成した「変態」とも称される独自の哲学と、その軌跡を深掘りします。

映画字幕翻訳家・戸田奈津子さんの真剣な表情映画字幕翻訳家・戸田奈津子さんの真剣な表情

伝説の字幕翻訳家を支える「変態」の哲学

戸田奈津子氏を取材した筆者が思い出したのは、建築家・小堀哲夫氏が著書『建築家のアタマのなか』で語る「変態」という言葉でした。これは、辞書にある「ふつうとちがう状態。一般的な感覚からかけはなれた趣向・方向性」という肯定的な意味で用いられ、「自分の感覚や欲求、衝動を純粋に、貪欲に追い求めていくこと」と定義されています。

建築家と字幕翻訳家という分野の違いはあれど、戸田氏の仕事人生はまさにこの「変態」そのものと重なります。幼少期からの映画への純粋な情熱、そしてその情熱を仕事へと昇華させるための貪欲なまでの探求心と衝動。人並み外れた集中力とこだわりで、自身が信じる道をひたすらに追い求めてきたからこそ、観る人の心を揺さぶる感動的な作品を生み出し続けることができたのです。彼女のキャリアは、単なる職人技を超えた芸術的な域に達していると言えるでしょう。

戦後の日本を彩ったハリウッド映画と幼少期の情熱

戸田奈津子氏は1936年、戦前の日本に生まれました。太平洋戦争が終結し、日本が敗戦という暗い時代を迎えたのは、彼女が9歳の時でした。娯楽が乏しかった当時の日本において、幼い戸田氏の心を強く捉え、魅了したのは、ハリウッド映画をはじめとする洋画が映し出すきらびやかな夢の世界でした。親戚に連れられて映画館を訪れるたびに、彼女はその非日常的な空間に圧倒され、映画への強い憧れを抱くようになります。

長じて大学に進学すると、その4年間の大半を映画館で過ごすほど、彼女の映画への愛は深まる一方でした。それは単なる趣味の域を超え、彼女の人生の方向性を決定づけるほどの情熱へと発展していきました。しかし、映画漬けの呑気な日々は長くは続きません。日中戦争で父を亡くし、職業婦人だった母が家計を支えていた戸田家にとって、自身の食い扶持を稼ぐためにも就職は避けられない道でした。

「宮仕え」からの脱却:自由を求めたキャリアの転換点

大学卒業後、戸田氏は保険会社に就職しますが、その会社員生活はわずか1年半で幕を閉じます。彼女にとって、組織の中で複雑な人間関係に巻き込まれ、決められた仕事をする「宮仕え」は、あまりにも窮屈で退屈なものでした。

戸田氏自身、「基本的に協調性がないのよ」と笑いながら語るように、一人っ子として母と二人で自由に暮らしてきた経験が、集団生活や組織の中で働くことへの抵抗感を強めたのかもしれません。この人生で一度きりの「宮仕え」からの脱却は、彼女が自分らしい働き方、すなわち自由な環境で自身の情熱を追求するキャリアを模索する、重要な転換点となりました。会社を辞めた後も、英語の翻訳に関するアルバイトは多数あり、それが後のキャリアへと繋がる足がかりとなります。

意図せぬ「本業」へ:通訳としての挑戦と成長

会社を辞めた後、戸田氏は当時字幕翻訳の第一人者であった清水俊二氏に師事し、字幕翻訳家を目指します。しかし、すぐにその夢が叶うわけではありませんでした。字幕翻訳の仕事はなかなか巡ってこず、新たな道を模索する中で、彼女は30歳を過ぎてから、日本で新たに公開される洋画の記者会見で通訳を務めることになります。

英文科を卒業してはいたものの、当時の日本には英会話を実践的に学べる環境が整っておらず、戸田氏の会話力は「ほとんどゼロ」だったと彼女自身が振り返ります。それでも彼女が駆り出されたのは、英語を話せる人材が少なかった上に、映画に関する深い知識を持つ人物がさらに希少だったためでした。通訳としては「ひどいでき」だったと謙遜する戸田氏でしたが、1960年代の日本は今ほど管理された時代ではなく、彼女のような未熟な通訳にも仕事が来るおおらかな時代でした。映画に対する並々ならぬ情熱と、決して努力を怠らない姿勢があったからこそ、この「意図せぬ本業」である通訳の仕事は、彼女の技術を1ミリずつ着実に成長させていきました。そして、この通訳としての経験が、後の字幕翻訳家としてのキャリアに計り知れない影響を与えることになります。

結論

戸田奈津子氏の半世紀にわたるキャリアは、幼い頃からの映画への純粋な情熱、そしてその情熱を追い求める中で出会った数々の挑戦と成長の物語です。彼女が「変態」と称されるほどの徹底したこだわりと、常識にとらわれない独自の哲学を貫いたからこそ、伝説の字幕翻訳家という唯一無二の地位を確立できたと言えるでしょう。

「宮仕え」からの脱却、未経験からの通訳業への挑戦、そして地道な努力による技術の向上。戸田氏の軌跡は、自身の欲求や衝動に正直に向き合い、純粋に、そして貪欲に追い求めることの重要性を私たちに教えてくれます。彼女の仕事人生は、キャリア形成に悩む人々、あるいは人生の新たな道を模索する人々にとって、計り知れないインスピレーションとなることでしょう。


参考文献