2015年2月、和歌山県紀の川市の閑静な住宅街で、小学6年生の森田都史さん(当時11歳)が帰宅直後に、近所に住むひきこもり状態の青年(当時22歳)によって命を奪われるという凄惨な事件が発生しました。この事件は、鉈状の刃物で胸や背中など十数カ所を刺され、頭部を鈍器で殴打されるという残忍なものでした。
一審では加害者の統合失調症による心神耗弱が認定され懲役16年の判決が下されましたが、二審では自閉スペクトラム症(レベル1)と診断され、責任能力は認められつつも量刑は維持されました。ノンフィクション作家・藤井誠二氏の著書『「殺された側」から「殺した側」へ、こころを伝えるということ』(光文社新書)の一部を抜粋し、被害者遺族である森田悦雄氏がこの事件と判決をどのように受け止めているのか、その深い苦悩に迫ります。
住宅街の惨劇:森田都史さん殺害の経緯
事件現場となった和歌山県紀の川市の一角は、1970年代に造成された住宅街で、住民の高齢化が進む静かな地域です。小学校の通学路にもなっており、事件当日も児童たちの声が響く日常でした。被害者の森田都史さんも、この通学路で遊んでいた際に襲われました。
閑静な住宅街の一角を示すイメージ写真
被害者遺族である森田悦雄氏(76歳)は、事件後、加害者が両親と暮らしていた一軒家の前を訪れました。加害者は1992年生まれ、当時22歳のひきこもり状態の青年でした。父親は事件当時、某仏教系大学の教授であり、次期学長と目される人物であったとされています。加害者の家からわずか十数メートル離れた空き地で、森田氏は「ここに、息子が血だらけで倒れとったんです」と、その場所を指差しました。都史さんの自宅からも目と鼻の先で、息子は殺害されたのです。
事件は2015年2月、森田都史さんが小学校から帰宅した直後に発生しました。加害者が使用したのは刃渡り50センチ近い鉈状の刃物で、都史さんの胸、腰、背中、頭部など十数カ所を執拗に刺し、心臓からの出血が死因とされました。森田氏の証言によると、加害者は「おまえ、まだ死なんのか」と問いかけるなど、凄惨な殺傷行為を続けたといいます。都史さんは激痛と恐怖に耐えながらも、凶行を止めさせようと必死に手を合わせ、「これだけ刺して気すまんのかい」「こらえてくれんのかい」と、小学生とは思えないほどの気丈さで加害者に懇願し続けたとされています。
遺族の問いと社会の責任
この悲劇は、一つの家庭から大切な命を奪っただけでなく、地域社会全体に深い傷跡を残しました。加害者の精神状態が裁判で争点となり、診断名によって責任能力の有無が問われる中で、遺族が直面した現実の重さは計り知れません。森田悦雄氏が事件と判決をどのように受け止め、どのような思いを抱き続けているのか、その声は、犯罪被害者とその家族が直面する困難と、社会が果たすべき役割を私たちに問いかけています。
参考文献
藤井誠二. (2023). 『「殺された側」から「殺した側」へ、こころを伝えるということ』. 光文社新書.





