ビジネス書「成功哲学」が売れ続ける理由:マーケティングが創出する「アンメットニーズ」

「成功とは何か」という抽象的なテーマを扱ったビジネス書が、なぜこれほどまでに多くの読者を惹きつけ、売れ続けているのでしょうか。現代社会において、個人のキャリアや生き方に対する不安が高まる中、成功への手引きを求める心理は理解できます。しかし、組織開発専門家である勅使川原真衣氏は、これらの「成功哲学」を扱ったビジネス書が売れ続ける背景には、マーケティングにおける明確な戦略が存在すると指摘しています。本稿では、その背後にある「アンメットニーズ」の創出というマーケティング手法と、それが日本社会にもたらす影響について深く掘り下げます。

「ニーズは創出するもの」:マーケティングの真髄

世の中に何かを売り込む際、消費者の購買意欲を刺激する価値観や危機感を植え付けることは、マーケティングの重要な役割です。しかし、「美しいものを作る」「面白い物語を書く」といった、人それぞれに多様な感性を持つ「きれい」や「面白い」といった感覚を追求することは困難です。一方で、「汚い」「怖い」といった感覚は、人々の間で比較的共通の反応を引き出しやすい傾向があります。これは、ニーズが必ずしも「そこにあるもの」ではなく、時に「創出されるもの」であるというマーケティングの真髄を示唆しています。

筆者は、大学院生の頃に経験した消費財メーカーでの就職活動を通じて、このマーケティングの核心に触れました。当時の選考過程で、企業のマーケティング部門の担当者は、「ニーズはそこにあるのではない。こちらから創出するものだ」と明言し、それを「アンメットニーズ」と呼んだのです。彼らは、「あれがあったらいいな、これがないと大変だな、の多くは、本人が気づいていない。だから僕らが『あれがないから大変なのかも?』『これがあればもっと楽で素敵な毎日なのに』と思わせてさしあげる。これが僕らマーケッターの仕事です」と語り、潜在的な不安や願望を顕在化させることで、新たな需要を生み出す手法を説明しました。

日本人の「迷惑をかけるな」意識を刺激する戦略

具体例として、私たちが日常的に耳にするような謳い文句が挙げられます。「毎日お風呂やシャワーで体を洗っていても、外出時に汗をかけば、においの元となる菌を放置することになる。外出先では常にこのようなスプレーを脇に当てて…とやらなければ、人として、女性として失格」といった宣伝文句です。さらに、「これがお出かけ前のエチケット」という言葉が添えられると、特に多くの日本人にとって、ハッとする瞬間が訪れるでしょう。

スマートフォンを操作する手のイメージスマートフォンを操作する手のイメージ

私たち日本人は、古くから周囲への配慮を重んじる文化の中で生きてきました。そのため、「あなた、周りに迷惑をかけていますよ」という言葉は、私たちを瞬時に萎縮させる強い力を持っています。福祉社会学者の竹端寛氏がこの風潮を「迷惑をかけるな憲法」と呼ぶほど、他者に迷惑をかけないことは社会生活における重要な規範とされています。このような文化背景を持つ日本人にとって、「これはきれいです」「この映画は面白いですよ」といったポジティブな価値提案よりも、「あなたは人としてなっていない」と示唆される方が、圧倒的な不安と恐怖を煽られるのです。マーケッターが意図的に恐怖を煽ることはなかったとしても、このような価値観を人々にじわじわと植え付けるマーケティング戦略は、社会の深層心理に作用し続けています。

まとめ

ビジネス書における「成功哲学」の継続的な人気は、単に個人の自己実現欲求を満たすだけでなく、巧妙なマーケティング戦略によって創出された「アンメットニーズ」に支えられています。特に、日本社会においては「周囲に迷惑をかけない」という文化的価値観が強く、この心理を巧みに利用したマーケティングは、人々に不安や恐怖を喚起し、新たな行動や消費を促す原動力となっています。私たちは、日々の生活の中で無意識のうちに影響を受けているこれらのマーケティング戦略を理解することで、より主体的な選択と行動を促すことができるでしょう。

参考文献

勅使川原真衣『人生の「成功」について誰も語ってこなかったこと 仕事にすべてを奪われないために知っておきたい能力主義という社会の仕組み』(KADOKAWA)の一部を再編集